増え続ける「疑惑」被害者
10年前の日朝首脳会談で、金正日総書記が日本人拉致を認め、「生存している」とした被害者5人のうち、日本側は曽我ひとみさん(53)を把握していなかった。昭和53年8月12日、母親のミヨシさん=拉致当時(46)=と一緒に買い物に出かけ、北朝鮮工作員らに拉致されたことがその後の警察当局の調べで分かった。ミヨシさんについては、北朝鮮側は「入国を確認していない」とし、いまだに安否は分かっていない。
なぜ、北朝鮮側は日本側が被害者認定していなかった曽我さんの生存を伝えてきたのか。「徹底的に探して、日本側から照会のなかった被害者まで探したという『誠実』を装う対応だったのではないか」とみる公安関係者もいる。
曽我さんが生存し、無事帰国を果たしたことで、この10年で新たな動きが広がった。「もしかしたらうちの子も…」。拉致被害者と家族の支援組織「救う会」には、そうした問い合わせが殺到した。「これは放っておけない」。平成15年1月、救う会の荒木和博事務局長(当時)を代表に、「特定失踪者問題調査会」が始動した。荒木代表は「とんでもない数の被害者がいるのではと思った。底なし沼に入ったような感覚だった」と振り返る。
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特定失踪者の数は現在約470人。昭和52年10月に失踪した松本京子さん=同(29)=は平成18年、拉致被害者として政府に認定された。失踪現場近くに北朝鮮工作員が潜伏していた可能性が高く、失踪直前に北の工作船とみられる不審船が航行していたことなどから、「拉致以外の可能性がない」と判断された。
一方で、認定を求めながら未認定のままの失踪者もいる。昭和48年7月に不明となった古川了子(のりこ)さん=失踪当時(18)=や51年2月に失踪した藤田進さん=同(19)=らのケースだ。
認定には、北朝鮮の国家意思が推認できる▽行方不明者が北朝鮮にいる▽本人の意思に反して連れ去られた-という3要件が必要とされる。古川さんには北での目撃証言、藤田さんも北から持ち出された写真の男性が本人である可能性が高いとの鑑定結果があるが、認定には至っていない。
自民党の拉致問題対策特別委員会で7月、「藤田さんはなぜ認定されないのか」と出席者から政府関係者に質問が飛んだが、「個別の案件については…」と明確な回答はなかった。認定の基準が分かりにくいという声は多い。認定された松本さんの兄、孟(はじめ)さん(65)でさえ「認定とは何なのか。非常に微妙な問題だ」と話す。
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調査会は職業や出身学校、失踪場所などごとにまとめた「マッピングリスト」を作成している。准看護師だった曽我さんが拉致された時期に、何人もの看護師が失踪している。
曽我さんを拉致した実行犯として、警察当局が国際手配しているキム・ミョンスク容疑者は北朝鮮に到着後、曽我さんに「あなたが土曜の夕方に帰宅し、日曜の午後に勤務先に戻るシフトだということを知っていた」と語っている。北朝鮮工作員が拉致対象を事前に絞り込むケースがあったことが浮かび上がる。印刷関係者の失踪が昭和40年代に集中しており、北朝鮮が偽札づくりのために連れて行った可能性を指摘する関係者もいる。
荒木代表は「拉致認定されているか、否かにかかわらず、被害者の数は正直分からない」と話す。拉致が「疑惑」ではなかったことが証明されて10年になるが、新たな「疑惑」は今でも生まれている。
特定失踪者問題調査会が「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない」としている人たちの顔写真が並んだポスター
(鴨川一也撮影)
