めぐみさんは生きている(2) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【再び、拉致を追う】第1部 

幕引き狙う北「象徴」に照準






中学校のバドミントンの部活を終え、帰宅途中に北朝鮮工作員に拉致された横田めぐみさん=拉致当時(13)=は、拉致被害者の象徴的な存在だ。めぐみさんの問題に決着をつければ、拉致事件に対する日本の世論は下火になる。北朝鮮側がめぐみさんにターゲットをしぼった背景は容易に想像できる。

 めぐみさんは、北朝鮮側が「死亡した」と主張する1994年まで、帰国した拉致被害者の一部と同じ集落の招待所にいた。いつも「日本に帰りたい」と言っていためぐみさんが、精神的に衰弱し、平壌市49号予防院に入院したことを、帰国した被害者らは確認していた。だがその後、どうなったかは、本当のところを知らないという。

 めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさん(24)が2002年、面会した日本政府関係者に話した内容は興味深い。「母はある日、病院に運び込まれ入院しました。何回か面会に行きました。病院から戻ってこないのでおかしいと思っていたら、父は、母は亡くなったと言いました」。ヘギョンさんもめぐみさんの「死亡」を自分の目で確認していない可能性がある。


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 平成14年10月16日。東京都内のホテルで、前日に24年ぶりに帰国した拉致被害者5人が、北朝鮮側から「死亡」とされた被害者の家族と面会した。帰国した被害者らは3部屋に分かれて待機。その部屋に一家族ずつ入って話を聞いた。

「めぐみさんは美人だった。赤ちゃんが生まれたときに訪ねたら喜ばれた」「めぐみさんから『ミシンを買ったけど、操作が分からないので教えてほしい』と言われた」…。集落の様子やめぐみさんの招待所の間取りなど話は詳細だった。「ピタッと話すことが同じだった。日付までよく覚えているなと感心したほど」。めぐみさんの母、早紀江さん(76)はそのときの違和感を思い出す。

 一方で、ほかの「死亡」とされた被害者家族との面会では、5人は「全く知りません」「私たちだけが帰ってきて申し訳ない」と繰り返し、ほとんど何も語ろうとはしなかった。


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 北朝鮮側のシナリオ通りだった。「一時帰国」の予定で故郷の地を踏んだ5人について、日本政府が「永住」を決めるという想定外の事態に陥っても、シナリオは崩れていなかった。すぐさま、平壌にいるキム・ヘギョンさんが日本のテレビ局のインタビューに応じ、めぐみさんの父、滋さん(79)と早紀江さんに「なぜこちらに来てくれないの」と涙ながらに訴えた。滋さんは揺れた。

 訪朝問題は家族会全体で協議されることになった。その会議に、ある帰国被害者はメッセージを託した。

「行くと危険です。自分たちは日本に来るときにミッションを与えられた。その一つは横田夫妻を北朝鮮に連れて行くことでした。何か準備しているから慎重にされたほうがいい」

 帰国前に被害者らは、北朝鮮の指導員からシナリオをたたき込まれていた。その中で「横田めぐみのことは、そのまま話して構わない。死んだという噂を聞いたというように。それ以外の人については、一切言うな」と言われたという。被害者らがめぐみさんの「死亡」を「噂」で聞き、それ以上は知らないことを把握しているかのように。

 早紀江さんはこう話す。「私たちが北に行って、ヘギョンさんと会って『お母さんは死にました。これが遺骨です』と言われたら…。事実でなくても、世界に報道され、拉致問題は完結してしまった」。北のシナリオは崩れていった。