仕分け人とマスコミで日本スポーツ大苦境。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





夕刻の備忘録 様のブログより。







民主党の仕分け政策で、学術、芸術、そしてスポーツ分野まで予算が削られたのは、既によく知られている通りである。「無駄を無くせ!」と絶叫する「襟立て女」をシンボルに、自分達の勝手な思い込みで、相互関係や、文化全体の意味などを全く考慮せずに、大衆受けだけを狙った結果、多くの分野が資金難に落ち込み、中にはその連続性を絶たれて衰亡寸前のものもある。

五輪に関わる選手強化費も、その枠を抑えられ、ただでさえ少なかった費用が、まさに雀の涙ほどのものになってしまった。五輪からの脱退を主張するなら、まだ筋も通る。参加はしろ、加えて「メダルを取れ」などと、よくもまあ言えたものである。

柔道のようにルールを改変されて、日本が勝てなくなった競技もあるが、先ず第一に強化予算の額を、メダル量産国と比較してみることだ。日本のトップアスリート達が、如何に高い「コスト・パフォーマンス」を誇っているか。これでなお、その上に「凋落だ」「弱体化だ」などと平気でいう人間は、その乞食根性が遠からず我が身を滅ぼすことを覚悟したほうがいいだろう。

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国の予算が全く当てに出来ない苦難の中で喘いでいる彼等が、やりたくもない自己アピールの結果、ようやく見付けたスポンサーとの関係にまで文句を付ける鬼畜がいる。産経新聞の宇野貴文である。

五輪選手を支える“パトロン”は財界人ばかり
 もたれ合いに厳しい声も(2012.8.4 12:00)
 熱戦が繰り広げられるロンドン五輪で、日本勢の戦いに財界、企業関係者も熱い視線を注ぎ続ける。財界人には、競技団体のトップを務めるほか、人材育成に私財を投じる“足長おじさん”も。選手たちにとっては心強い存在だが、一方で企業などの支援は“もたれ合い”になりかねず、ハングリー精神をそぐ一因ともいわれている。お家芸と呼ばれた日本の柔道が惨たんたる結果で終わる中、選手と“パトロン”の関係も見直すべきときにきているのかもしれない。<<中略>>

 スポンサーの確保は選手にとって切実な問題だ。財界や企業からの支援は、ありがたい話だが、場合によっては「もたれ合い」にもなりかねない。ロンドン五輪ではお家芸といわれ、体操や水泳と並び、メダルの期待がかかった柔道が思い通りの結果を出せずに終わった。
 「もたれ合いといわれる関係が選手を強くすることは決してない」とある関係者は指摘する。スポンサー企業にとっても巨額の投資をしても結果が伴わないのならメリットは少なく、またファンも失望する。“パトロン”の支援を受け「参加するのに意義がある」と言っているようでは、熾烈なスポーツの世界でメダルをとることは難しい。(宇野貴文)

 http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120804/wec12080412010001-n1.htm

略した所には具体的なスポンサーと選手の関係が列挙されている。しかし、この駄文には何処にも「もたれ合い」の定義が書かれていない。何をして「もたれ合い」と呼んでいるのか、全く分からないのである。

その理由は簡単である。記者が真性のバカで、自分自身でも分かっていないことを、「もたれ合い」という言葉を使えば、何かもっともらしいことが書けるのではないか、と安易に弄り回した結果だからである。そして、マスコミ得意の『「もたれ合いといわれる関係が選手を強くすることは決してない」とある関係者は指摘する』という「謎の関係者」の指摘を匂わせて終わっている。「決してない」と断言する関係者の氏素性も分からず、そもそも「もたれ合い」の意味すら不明では、全文を読む価値もなかろうと考え、多くを略した。

「消費税はマスコミには掛けるな」「人権擁護法もマスコミ関係者は枠の外」「テレビを見なくても受信料だけは払え」、こうした主張を平然と記事にすることで関係団体に明白な圧力を掛け、その見返りとして特定政党の応援団を演じ、特定組織の擁護に回る。これこそを「もたれ合い」というのである。自分達の「もたれ合い」は許せても、他人のそれは許せないのか。

その汚い手で選手に触れるな。
その穢れた口でスポーツを語るな。

企業が自己判断で多少のリスクを覚悟しながらも、優れた若者を応援しようとすることは、美談になりこそすれ、批判される謂われなど全くない。何を理由に横槍を入れるのか。再度書く、選手に近づくな、スポーツに触れるな。

民主党により国の支援を打ち切られ、マスコミにより個人スポンサーとの関係にまで難癖を付けられたのでは、センターポールに日章旗を掲げ、君が代を聞くことだけを夢に、日々を懸命に努力してきた若者達が浮かばれまい。

勝っても負けても、日の丸を胸に戦う若者達を応援する。
勝ち負けが知りたくて見ているのではない。
同胞の努力が報われることを信じて見ているのだ。
勝って驕らず負けて腐らず。
日本代表として相応しい振る舞いを期待する。
望むのは唯そのことだけだ。

自分が出来ないことを、遣り遂げる者を素直に尊敬出来ない人間は、公の職に就くべきではない。ペンを持つべきではない。憎悪により政治を志し、嫉妬によりペンを取った者こそ、社会に最も不要な、ゴミそのものである。

勝てば皮肉を言い、負ければ「惨敗だ」と罵る。傷心の自国選手に向け、「批判を恐れるようでは永遠に勝てない」など罵詈雑言を浴びせて、己の憂さを晴らす。そうした所業が、真に「本人のためになる」と主張するなら、こちらも同様にさせて頂こう。
「くたばれマスコミ」「滅びろマスコミ」
「世界最底辺の我が国のマスコミに明日はない」と。