マスコミ VS 政治家:下衆はどちらか? | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。




マスコミ最近のヒット作は、「決められない政治」という言葉である。手を変え品を変えて何とか流行語を作り出し、それをもって政治全体を愚弄する。政治家自身も、広く使われている言葉なら、説明する時間が省けるので、これに便乗する。マスコミ、政治家、国民とグルッと一周した段階で、あらあら不思議、何とマスコミが知的頂点に立っている。倫理的頂点に君臨している。

「決められない政治からの脱却を」と書けば、それで一面は埋められる。昔から、新聞・雑誌の空き枠を埋める「無名原稿」を埋め草などと称したが、今や新聞は第一面が既に「埋め草原稿」である。そう見えないのは、事前にそれを自作自演で流行らせておくという周到な、そして悪質な準備の御蔭である。

自民・谷垣氏「激甚災害指定を」 熊本の被害現場を視察
 自民党の谷垣禎一総裁は16日、九州北部豪雨の被害状況を調べるため、土砂崩れで死者が出た熊本県南阿蘇村や阿蘇市の現場を視察した。その後、阿蘇市役所で地元関係者らと意見交換し「激甚災害に指定しなければいけない」と述べ、政府に早期の指定を働き掛ける考えを示した。
 自民党は既に「九州地方豪雨対策本部」を設置。谷垣氏は野田佳彦首相に先んじて被災地入りし、「責任ある野党」として危機管理の対処能力をアピールする狙いだ。
 この後、同様に豪雨被害を受けた大分県竹田市に移動し、市の担当者から被災状況を聴取する。2012.7.16 12:42

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120716/plc12071612460008-n1.htm

「決められない政治」と書いたその次には、「政局批判」が来る。政局ばかりに現を抜かす政治家を批判し、「政策本意の政治を行え」と切り捨てる。それでは『谷垣氏は野田佳彦首相に先んじて被災地入りし、「責任ある野党」として危機管理の対処能力をアピールする狙いだ』というこの記事は何なのだ。

如何なる超能力をもってして、「谷垣氏の狙い」まで断言出来るのか。己の頭が政局で一杯だから、単にそう見えるだけではないのか。政治家が国家国民のために働けば、それは選挙目当ての票目当て、政局がらみの胡散臭い行動だと断じる。そして、働かなければ働かないで、政局に目を奪われて一歩も動けなかったと批判する。

要するに、政局を作っているのもマスコミなら、政治を決められない状況にまで追い込んだのもマスコミである。マスコミの無恥無能、その虚栄心、大衆を如何様にもコントロール出来ると思い込む傲慢さが、こうした記事を平然と書かせるのである。

民主党に危機管理能力が完全に欠落していることは、既に周知の事実である。ならば自民党が動いて、要望があればこちらにも連絡してくれ、何とか出来る限りのことはする、と「危機管理の対処能力をアピール」するのは、むしろ当然の責務ではないのか。それを『谷垣氏は野田佳彦首相に先んじて……』と前置きする精神の卑しさに茫然とする。首相がきちんとその責務を果たしていれば、野党党首が先を争って現地入りする必要など何処にも無いのである。

マスコミと政治家と、下衆なのはどちらか。

これは鶏と卵の関係ではない。この短い記事の中にも、己の卑しさを全力で注ぎ込まねば落ち着かない、マスコミの圧勝である。どんな愚かな政治家でも、被災地に行って、いきなり個人宅にまで入り込み、「今のお気持ちはどう?」などという人の道に外れたことはしないのである。「決められない政治」からの脱却よりも、「薄汚いマスコミ」からの脱却の方が、国家にとって、国民にとってより優先順位が高い。