いじめとは何か。文部科学者は、「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」と定義する。そして、「いじめか否かの判断は、苛められた子供の立場に立って行うよう徹底させる」と云うのが、同省の指導方針らしい。何だ、そりゃと思う。
いじめは確かに心理的・物理的な攻撃だ。他者に精神的な苦痛を与える。この定義は間違いない。しかし、いじめられる子供の立場で、いじめか否かを判断するのはヘンだ。子供がどう感じるかなんて無関係だ。他人がどう感じようと感じまいと、世の中にはやっていいことと悪いことがある。普遍の道徳心や厳然たる社会のルールを教えるのが大人のつとめだ。
他人に乱暴 してはいけない。騙してはいけない。誹謗中傷してはいけない。盗んではいけない。このあたりは子供の世界だって、大人の社会と何らかわらない。悪いことは悪い。仮に乱暴され、騙され、誹謗中傷され、モノ を盗まれた子供たちがじっと耐えようと、あるいは逆に嬉しがって(?)ゲラゲラ笑おうと、ルール違反には違いない。許されざる罪であり、処罰の対象だ。
ここを曖昧に放置するから、家庭環境が劣悪で頭の不出来な子供たちは、社会のルールを無視して獣になる。親や教師が戒めないからエスカレートする。級友相手に脅迫罪や恐喝罪、傷害罪や強盗罪、あるいは殺人罪や強姦罪さえ適用されかねない凶悪犯罪に至る。滋賀県大津市のいじめ自殺事件、いや他殺事件かも知れないが、こんな悲劇を繰り返したくなければ、掟破りの子供たちを厳しく叱責し懲罰を与えるしかない。
子供は人間以前の動物だ。小さいうちなら、教師による折檻や懲罰室への監禁など肉体的な痛みを与えて、事の善悪を教えるのが効果的だ。但し大きくなるとそうもいかない。体力もあるから、ヘタすれば教師が負かされてしまう。それなら、躊躇せずに警察力を活用すればいい。アメリカ では犯罪防止を目的として、学校に警察が常駐するのは珍しい話ではない。
さて、関心の高まりを受け、滋賀県警がイジメ自殺事件の強制捜査に乗り出した。学校や教育委員会とグルになって事件の隠蔽を図る大津市の警察署に任せておいても埒は明かない。是非、県警による徹底調査で全容を明らかにして欲しい。そして教師であれ生徒であれ、犯人を逮捕して欲しい。
実はこれまで教育現場への警察力介入を全力で阻止してきたのが、日教組だ。父兄にすれば、悪党どもが生徒を人質に取って学校に立て篭もっているようなものだ。そんな状態で、子供達を反日自虐教育や朝鮮賛美で洗脳されては堪らない。
今回の捜査を皮切りに、警察が学校にどしどし踏み込んでくれることを心から歓迎する。逮捕劇を見れば、誰が悪い奴で何が悪い事か、子供たちにも一目瞭然だ。これこそが立派な教育だ。