【正論】評論家・木元教子
昨年の大地震と津波で、稼働中だった福島第1と福島第2原子力発電所の計10基が止まった。福島第1の3基は燃料が溶融し、結果として水素爆発を起こした。
≪「安全神話」自体が神話?≫
「あんなこわいモノをまだ温存するのか」「脱原子力」「再稼働なんてとんでもない」「このせまい国に50基も原子力発電があるとは、すぐ止めろ」との声が、正義のメッセージのように、多くのメディアで語られた。今回の原子力発電所事故について、「唱えられてきた『安全神話』は崩れた」とのタイトルでシリーズを組んだ報道記事もある。
では、原子力発電について唱えられたことは、その政策を含め、本当に「安全神話」と呼ばれていたのだろうか。「安全神話」とはどういうものだろう。それは「絶対に安全」という信頼感だ、と言われる。ならば、誰が、いつ、どこで、原子力発電を「絶対に安全」と言ったのか。あるいは、言わなければならなかったのか。
私は、1998年から3期9年間、内閣府の原子力委員会委員を務めていた。しかし、振り返ってみると、原子力の「安全対策」については、国・電気事業者の方たちは当然のこと、一般市民、原子力利用に反対の立場の方々も参加する「市民参加懇談会」を設置し、テーマは「原子力発電の必要性と安全性」など、その都度、課題とされている事例を取り上げ、公開の場でご意見を伺い、論じ合い、確認しあった。その結果は、原子力政策策定のプロセスにおいて反映され、政策・対策として確立されていった。
思うに原子力発電は、資源のない日本の準国産エネルギーと認知され、人々は自前の原子力発電に大きな期待を寄せたに違いない。
とはいえ、その政策・対策は、安易に、心情的に「安全神話」という言葉で語られてはいない。しかし、その上で、明確な根拠はないにしても、「かく、あらまほし」との願望を精一杯こめて、「絶対に安全である。そうしなければ」と確認し合った状況があったのではないか。
≪ドイツと違い近隣に頼れない≫
世の中に「絶対安全」は、ない。原子力は、前を向いて謙虚に、だが強い信念を抱き、限りなく「絶対安全」に近づけるべく、研究開発に努力し、また、しなければならない、と決意している。 それは、原子力が他のエネルギーとともに、私たちにとって必要なエネルギーだからだ。
自国のエネルギー需要を、十分に賄うだけのエネルギー資源は、日本にはない。しかも、島国だ。ドイツのように、2022年までには、「脱原子力政策を実施し、原子力発電は止めることにする」というわけにはいかない。
ヨーロッパ大陸に存在するドイツは、北はノルウェー、スウェーデンから、南はスペイン、ポルトガルまで、網の目のように送電線が繋がっている。自国の電力が足りなくなれば、「電力の輸出入」を、フランスを中心にして行うことができる。
島国日本は、電力が不足しても他国と電力の輸出入ができる送電線は存在しない。沖縄電力を除く9つの電力会社が、それぞれの需要を見合いながら、国内だけで、融通し合っている。
先日、中部電力の浜岡原子力発電所に伺い、前向きの津波対策の現場を見せていただいた。
福島第1発電所の事故に至った経緯を検証し、浜岡原子力発電所における津波遡上の高さを想定、東海、東南海、南海地震の3連動(M8・7)まで考慮し、防波壁の高さをT・P(東京湾平均海面)+18メートルとしている。
地中部には、基礎構造としての「地中壁」があり、深さは10メートル~30メートル程度で、底部は岩盤に埋め込む。基礎構造は岩盤部に根を入れて地中壁となる。この防災・防津波対策工事は、新規の発電所建設現場のように見えた。
総延長1・6キロの防波壁。完成すれば、この近代の要塞がしっかりと、浜岡原子力発電所を守ることになる。
≪前を向いて稼働させよう≫
浜岡原子力発電所を守ることは単に、民間の一電力会社を守ることではなく、日本のエネルギー安全保障を守ることなのだ。
この関連で6月20日、原子力基本法第2条「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として」に続き、「我が国の安全保障に資することを目的として」との文言が加えられた。決して軍事利用ではない。
ロシアのサンクトペテルブルクで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)エネルギー相会合の合意文書に「安全に、核エネルギーを平和利用する事を、重要視する」と明記されたのは25日。再稼働に反対し、東電を叩き続け、ただ原子力を否定しても、そこからは、何も生まれない。
いま原子力は、エネルギー安全保障の柱、前を向いて稼働する。7月9日、関西電力の大飯原子力発電所3号機は、フル稼働に達した。これで、日本の稼働原子力発電所ゼロの状態は解消する。
(きもと のりこ)