県民一体となる県歌「信濃の国」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【都道府県 伝統の教え】長野県





明治33(1900)年、長野県師範学校の運動会で、「信濃の国」(浅井洌(れつ)作詞、北村季晴(すえはる)作曲)が初めて歌われ、以来、卒業した教師により、県下の学校に広まった。昭和43(68)年、県歌に制定された。

 江戸時代から藩や天領が多かった長野県は山地で地域が細分化され、一体感が薄いといわれてきた。このため、県民一体となる県歌が学校や地域行事などさまざまな場面で歌い継がれている。

 県内の地理教育の教材として作られ、軽快なメロディーで、「信濃の国は十州に」から始まる歌詞は6番まである。

 御嶽山(おんたけさん)、浅間山、千曲川、天竜川などの地勢、木曽の木材、諏訪の漁業などの産業、寝覚の床などの名所、源義仲や佐久間象山などの偉人が地域が偏らないように織り込まれている。

 小学校では地域教材として、音楽や社会の授業で歌い、ダンスの教材としても使用され、卒業までに何らかの機会で県歌に接する。

 学校行事以外でも、長野新幹線開通記念式典や長野五輪開会式でも歌われ、高校野球の応援歌でも使用される。県教育委員会の電話の保留メロディーも「信濃の国」だった。