当節いろいろ揣摩臆測(しまおくそく)されているが東京、大阪、名古屋、東の首都圏、大阪を芯にした関西圏そして中京圏と、この三大都市圏が連帯して行おうとしているのは中央集権の打破、国家の官僚の独善による国家支配の改善に他ならない。
私は決して国家官僚の存在を否定するものではない。明治維新の中で秀でた英傑だった大久保利通が確立した官僚制度は日本が近代国家として進むための絶対必要条件であったことは自明である。しかしそれが行政の主体者として自らを絶対化してしまうと国家の舵(かじ)取りは硬直し、進路を過ちかねない。
私が閣僚を務めた時いつも彼等自身から聞かされた彼等の美点? なるものは、継続性(コンティニュイティ)と一貫性(コンシステンシー)ということだったが、変化の激しいこの現代に、そんな姿勢で変化に対応できる訳がない。エリート意識で身を固め中央でふんぞり返り地方の現場には精通せず、すでに陳腐な方法論で地方を支配してきた中央集権体制がこの国に大きな歪みを作ってしまったのだ。
間近な過去を振り返ってみれば、戦後この国を良くしたのも官僚、駄目にしたのも官僚ということになる。戦後の日本を支えてきた政治家たちの中にも官僚出身の立派な政治家が何人もいた。
総理となった岸信介や賀屋興宣、椎名悦三郎といった人物の見事さは、戦前戦中絶対的存在であった軍部の軋轢(あつれき)に抵抗して理を通した経験に依(よ)るものだった。岸は戦争中総理の東条英機に反抗して内閣を総辞職に追い込み、賀屋は軍縮会議で海軍に反論し、腹をたてた山本五十六が命じた手下の山口多聞に殴られまでした。
その後輩の官僚たちもある時期までは先輩の薫陶の元に、国益を守るためには職を賭して反対もした。例えば田中内閣当時、今日の堕落しきった外務省の多くの役人とは違って、田中総理が一方的に決めようとした日中航空協定に関しては、両国の外務大臣の間に取り交わされていた密電を、協定の内容に反対していた青嵐会の我々に暴いてまでして一緒に抵抗してくれた。両国首脳の密約を暴きながら、「こんな外交があるものでしょうか」と、出された飯も食べずに泣いて悔しがっていたような官僚は、今ではもういない。今日彼等の美風? なるものは、自らの保身のためのその場しのぎの先送りか事実の湮滅(いんめつ)でしかありはしない。
一体何を恐れてか、国益の進展のために東京が唱えている東京都内にある膨大なアメリカの空軍基地の、せめてもの共同使用を妨害してかかる外務省にとっての国益とは一体何なのだろうか。
シナの覇権主義の危険にさらされている尖閣諸島での工作船の海上保安庁の艦船への強引な体当たり犯人の船長を、一地方検事の判断だと責任をなすりつけて釈放させ、彼を迎えに来るシナ政府の高官のために無理やり石垣空港を真夜中に開けさせ、犯人を英雄に仕立てる相手の作業に手を貸すしぐさは、外交という名にほど遠い売国に他なるまいに。
国に先んじて地方が行って成功したことを国の官僚は何の沽券(こけん)でか絶対に習うことはない。国の役人の放漫な財政を隠すために、先進国だけではなく他のほとんどの国が行っている、東京都が率先して採用した発生主義複式簿記を採用しようとはしない。日本の周辺で大福帳なみの単式簿記を行っているのは北朝鮮とフィリッピン、パプアニューギニアくらいのものだ。だからこの国には正確なバランスシートもないし国民が国の財政を見極めるための財務諸表もありはしない。ちなみに複式簿記は東京に次いで今では大阪も愛知も採択して行っている。首都圏全体の広域行政として行ってきた、大気汚染を食い止め国民の健康を守るためのディーゼルガス規制も、地方の成功を横目で見て何やらザル法を作ってごまかしているだけだ。
志のある地方の首長たちが地方の事情に鑑みた新規の教育方針を立てようとしても、教育の指針はあくまで文部科学省がきめるので余計なことをするなと規制してかかるが、その自分たちがやったことといえば現今の教育水準の低下を無視した「ゆとり教育」などという馬鹿げた方針で、わずか一年でその弊害が露出してしまい、心ある学校は通達を無視して従来の教育指針でことを行っていたのに、愚かな通達が撤回されたのははるか後のことでしかない。
一事が万事であって地方の建設的な意見や試みはほとんど無視され、国の理解と協力を得ることはまず至難といっていい。
土台、全国知事会なるものの知事の顔ぶれを見ればその六割以上が中央官庁出身で、何か国に先んじての提案を決めはしても最後は出身してきた古巣の役所の意向を質(ただ)し、役所は予算を握って居る財務省の顔をうかがって大方は無視されて終わる。
そうした基本的実態がある限りいつまでたっても地方の意見は中央に届きにくく、地方分権だの、まして地方主権なんぞは絵空事でしかありはしない。それぞれ地方に選挙区を構える政治家たちも、国会をあやつる中央官僚に頭をなでられるままで、私はそんな自民党に愛想をつかして脱退したが、官僚にまかせず政治家の主体で行う政治を唱えて政権をとった民主党は無能の域を出ず今の体たらくだ。
日本の政治の健全化のためには多少の意見の相違はあっても、地方が強い連帯を組むことからしか日本の改革は始まりはしない。明治維新を行った反幕府の諸藩、薩摩、長州、佐賀、土佐といった藩の間にさまざま唱えるところの違いがいかにあったかを思い起こして見るがいい。しかるになお、それを超えることだ。幕府の統治という基本体制を破壊することであの維新はなりたったではないか。