小沢一郎の明日は、その過去に記されている。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。







成人は「過去の実践」により評価される
こんな当り前のことを書かねばならぬのも、成人中の成人である被選挙権者、あるいはさらにその上の当選者、即ち「政治家の評価」が極めて異常だからである。

成人は、過去に何を言ったかではなく、何を行ったかで評価が決まる。
「将来性」など露ほども考慮されない。

切々と何を語ろうが、その人の行動がそれを裏付けてきたか、この一点が問われるのである。何の形にもなっていない夢物語を「将来性云々」に結び付けて評価されるのは、義務教育の中だけである。

就職試験において、何も具体的にしてこなかった人間が、「これからの私を見て下さい」などと笑顔で語ったところで、誰がそんな「空手形」を信用するものか。学業に勤しんできた者は会話のキレにそれが出る。スポーツに熱中していたものは、体そのものがそれを物語る。趣味に生き甲斐を感じていたものは、ツボに嵌れば止まらない。

本当に実践していたものならば、必ずそれが形を伴って語られるものである。人事担当者は、この一点を見ているのである。何もしてこなかった人間は、極めて高い確率で今後も何もしないに違いない。例外中の例外がたとえあるにせよ、企業に、社会に、そんな例外に期待するほどの余裕は無い。

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有権者は候補者の「過去の実践をのみ見るべき」なのである。
繰り返すが、過去に何を言ったかではない。何を行ったかを見る。
従って、新人候補者は実績皆無であるが故に、易々と評価はしない。

どんな政治理念を語ろうと、夢を語ろうと、それだけで評価することは危険である。彼は未だ何も為していない新人なのである。何の保証もない「将来性」などに、我々の生活を賭ける余裕はないのだ。「一見さんお断り」が政治の世界でなければならぬ。

こうした絶対不利の状況と戦って、この矛盾を潜り抜けて当選してきた新人にのみ政治家としての価値が生まれる。そして、彼にはじめて本物になるチャンスが、政治家として実践を積むチャンスが与えられるのである。

所謂二世議員が有利か不利かなどは、我々有権者が論じることであって、候補者がそのことを語り、それを批判して当選しようとするなど以ての外である。黙って苦境を乗り越える、そうした人物にのみ本物の評価が為される。矛盾に充ちたこの世の中で、当選前から泣き言を言うような人間に、何を期待しろというのか。


これが政治家の、いや全ての成人の評価の基本である。
国民がこの基本を踏み外した結果、それが「政権交代詐欺」である。

そして予想を遙かに上回るレベルで、「過去に何もしてこなかった新人議員」は、当選後も何もしていない。何も出来るはずがないのである。

元官僚に、元弁護士に、元経営者に、元タレントに、様々な経歴をひっさげ、それぞれに自らの「政治家としての将来性」を誇張して、選挙戦を乗り切った。しかし、彼等の過去の実践とは、政治とは無縁の方向性を持つものばかりである。即ち、艱難辛苦に耐えて、自らの全てを捧げ、「不特定多数の人々の幸福の為だけに生きる」という政治家としての基本的な実践活動は皆無であった人間ばかりである。

従って、世の中の矛盾が全て一点に集約されてくる「政治の世界」では、何も出来ないのである。省益の為に働き、依頼人の為に働き、自社の為、自分の利益の為だけに働いてきた人間が、どれほどその世界で成功を収めようと、それは政治家としての評価には成り得ない。

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そして、小沢一郎である。
彼は過去に何を為してきたのか。
政治家として如何なる実践をしてきたのか。

具体的なものは何もない。

確かに日本有数の選挙プランナーではある。
しかし、政策には疎く、実行力は皆無であり、長期に派閥を率いる力量もない。

過去に何もしてこなかった政治家は、これから先も何もしない。
有罪か無罪かなどは小さな話である。

これまでの四十年を越える政治キャリアの中で、何もしてこなかった、出来なかった人間が、これから先、一体何が出来るというのか。小沢一郎と書いて「過大評価」と読む、これが冷徹な真実ではないか。

大震災は、社会に堪った淀みをも暴き出した。
様々な矛盾や欺瞞が明るみに出た。
これまで証拠の無かったことも、証拠附きで語れるようになった。

この一年間、地元被災地に一歩たりとも足を踏み入れようとしなかった政治家が、さらに深まりつつあるこの日本の危機に、何が出来るというのか。地元への利益誘導型政治家と目されていた人間が、その地元の被災民にすら何ら関心を示さないのは如何なる理由からか。それは地元への利益誘導ではなく、自分への利益誘導に過ぎなかったからではないのか。

岩手県民はよく考えてみることだ。
何を言ったかではない。何をしたかである。

確かに、これまで一部の地元企業が潤ったかもしれない。しかしながら、本物の危機である今、復旧復興に関して、この一年間、何の役割も果たさなかった人間を、果たそうと藻掻くことさえなかった人間を、如何に評価するのか。よく考えてみることだ。

そして、このことは我々全ての日本国民に対しても該当する。
弁舌爽やかに語ることが政治ではない。
泥にまみれて、救えない人を救おうと足掻くことこそが政治である。
ましてや、被災地を歯牙にも掛けない政治家など存在させてはならないのだ。










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