【消えた偉人・物語】国定修身教科書
■「東洋のアルカディア」と称賛
昔の卒業式は「仰げば尊し」を歌うのが定番だった。しかし、今は歌う学校も随分少なくなってきたという。「仰げば尊し わが師の恩」などと子供たちに歌わせるのは、気が引けるという先生が増えてきたからなのか。
昔は「先生を敬う」というのが当然のことだったが、近頃は平気で子供の前で担任の先生の悪口を言う親がいるそうだ。それが子供にとっていかに不幸なことであるのか、その親は知らないのである。
江戸時代の儒者・細井平洲(1728~1801年)は「弟子に対してばかりでなく、道に対しても厳格な態度をとることが師への尊敬につながるのだ」と述べている。先生の悪口を言う親を減らしていくためにも、教師は道義道徳に対して厳格さを保持した上で、もっと自信をもって「仰げば尊し」を教えていけばよいのだ。
かつて国定修身教科書では「先生をうやまへ」(第4期)ということが、ちゃんと教えられていた。その中で、先に挙げた細井平洲が上杉鷹山(1751~1822年)に米沢藩の教学指導者として招聘(しょうへい)され、丁重な応対を受けた場面が次のように描かれている。「平洲が米沢の近くに来ると、鷹山は、わざわざ町はづれまで、むかへに出ました。さうして、ある寺の門の前で、平洲を待受けてゐました。〔中略〕それから、休んでもらふために、平洲を寺へあんないしましたが、門をはいつて長いさか道をのぼるのに、鷹山は、平洲より一足も先へ出ず、また、平洲がつまづかないやうに気をつけて歩きました」
平洲は、藩内で領民たちにも人の道を説いた。平洲の講話は人々に深い感銘を与えたが、「民の父母」と自覚した鷹山が平洲を師として敬い厚遇したことが、さらにその感化影響を強化していったことだろう。荒廃した農村は、この道徳教育を基盤に立ち直っていった。そして、米沢の地は後に英国女流旅行作家、イザベラ・バードから「東洋のアルカディア(桃源郷)」とたたえられるまでになっていったのである。
(皇學館大学准教授 渡邊毅)