【解答乱麻】元高校校長・一止羊大
大阪府立和泉高等学校の中原徹校長が、卒業式の国歌斉唱の際に教職員が実際に歌っているかどうかをチェックし、本人に確認した上で1人の教員を「不斉唱者」として府教委に報告したところ、大阪府立高等学校教職員組合(府高教)が「歌うかどうかは、個人の内面の問題。無理やり口を開かせるやり方は人権侵害だ。卒業を祝う場で、校長が監視ばかりしていたなら、生徒を冒涜(ぼうとく)している」などと反発したとのことである(13日付本紙夕刊=大阪本社発行)。
府高教のこの反発は、的外れで道理がないと言わなければならない。職務というものは、個人の思想信条にかかわらず遂行しなければならないものだが、このごく当たり前の認識が府高教には欠けているのではないか。
国旗や国歌について指導することは教員に課せられた職務である。これは、学習指導要領の規定(「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」)を素直に読めば、明白なことだ。教員は国旗・国歌を当然に指導しなければならない立場なのである。
起立して国歌を斉唱するのは国歌指導の一環であり、教員は、それを拒むことができないことを正しく認識しなければならない。内心の自由と職務遂行とは必ずしも直結するものではないのであって、「歌うかどうかは、個人の内面の問題」との主張は成り立たない。信条に照らしてどうしても国歌を起立斉唱できないのであれば、教員の職を辞するのが道理というものである。
「無理やり口を開かせるやり方は人権侵害だ」と言うが、事実はあべこべである。学習指導要領で指導することが定められていることは、子供の立場から言えば、当然学ぶ権利があることである。教員が入学式などで国歌を起立斉唱するのは、指導垂範の姿そのものであり、子供たちはその姿からも学ぶのだ。教員が職務を放棄すれば、子供たちはその機会を失うことになる。
この意味において、職務に背を向けて国歌を起立斉唱しない教員は、子供たちの学ぶ権利を奪っていることに気づいてもらいたいものだ。
「生徒を冒涜している」と中原校長を批判しているのも、道理が逆立ちしている。責められるべきは、校長ではなく、監視をしなければならない状況を作り出した教員の方である。全ての教員が当然に起立斉唱するという信頼と安心があれば、校長は式の最中に教員を監視する必要などさらさらなかったのである。
奥村展三文部科学副大臣は、記者会見で「何もかもチェックし、悪い人を探すようなことばかりに集中するのが教育現場の中で本当にいいことなのか」と述べたと報じられている(15日付本紙朝刊=同)。中原校長を批判する趣旨のようだが、これが副大臣の本意だとしたら、まことに残念と言う他ない。これでは、府高教の反応と基本的に変わらず、事の本質が見えていないのではないかと首をかしげざるを得ない。
計画-実行-評価は、マネジメントの基本サイクルである。職務を正しく遂行しているかどうか必要に応じて評価し、当該教員を指導するのは、校長として当然の行為である。決して批判されることではない。
中原校長のこの度の行為は、学校マネジメントのあり方へ投じた貴重な一石だったと私は思う。
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【プロフィル】一止羊大
いちとめ・よしひろ (ペンネーム)大阪府の公立高校長など歴任。著書に『学校の先生が国を滅ぼす』『反日教育の正体』など。