プーチン氏の水も辛い北方領土。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【正論】北海道大学名誉教授・木村汎






3月4日のロシア大統領選でプーチン現首相の当選はほぼ確実だという予測には、私も与(くみ)する。同意できないのは、プーチン氏の大統領復帰に伴って、懸案の北方領土問題を解決するチャンスが到来するという安易な臆測である。2島ぽっきり返還でこの論争にケリをつけることのみを狙うクレムリン戦略に、結局、乗じられてしまう危険性大だからである。

 ≪多元方程式の5変数の1つ≫

 日露間の領土交渉は多元方程式の解を求める作業であり、少なくとも5つの変数が絡んでいる。ロシア指導部、ロシア世論、日露間の力関係、日本側の交渉法、国際状況である。プーチン氏の大統領への返り咲きは、そのうちの1つが変わるにすぎない。それは、確かに最重要変数であるかもしれないが、そうだとしても、以下の2点に注意する必要がある。

 第一は、大統領がメドベージェフ氏からプーチン氏へと代わることの意味を、過大評価してはならないということである。メドベージェフ大統領-プーチン首相の双頭体制下の4年間に、ロシアの対日外交を決めていたのは、本当はプーチン氏だったからだ。

 例えば、メドベージェフ大統領が一昨年11月に強行した国後島への上陸ですら、実のところ、プーチン首相の黙認なしにはあり得なかっただろう。ロシアの国家元首の誰一人としてあえてやらなかった北方領土訪問を、プーチン氏の事実上の「部下」たるメドベージェフ氏が独断で成し得たはずがない。訪問はプーチン氏の承認、いやひょっとすると、奨励すら受けて、行われたに違いない。

≪国後訪問も親分の差し金?≫

 そのことは、メドベージェフ大統領の国後訪問に続き相次いで北方領土入りしたロシアの要人たちが一体、誰だったかを知れば、自ずと明らかだろう。一人の例外もなく、大統領府ではなくて首相府の人間、すなわちプーチン氏直属の部下だったのである。

 第二に注意すべきは、メドベージェフ氏に比べてプーチン氏が対日政策に関してより融和的であるということを示す根拠が、どこにもないことである。

 一般的にいって、「プーチノクラシー」は、ゴルバチョフ主義やエリツィン主義へのアンチテーゼである。プーチン氏の対日戦略もその意味で例外ではない。

 旧ソ連のゴルバチョフ、新生ロシアのエリツィンの両大統領は、北方四島を日露間の領土交渉の対象地域と決め、ビザ(査証)なし交流を提唱したり、交渉の指導原則として「法と正義」に準拠することに合意したりした。それはプーチン氏の目にロシア側から日本への過大な譲歩と映る。これら2人の先輩権力者が日露関係に残した「負(?)の遺産」をなし崩し的に修正し克服していかねばならない。プーチン氏がそう決意していることは想像に難くない。

 プーチン氏はまず、ビザなし交流プログラムに数々の嫌がらせを加え、あわよくばプログラムを廃止に追い込もうともくろむ。このプログラムは、プーチン氏の考えに立てば、ロシア側には実に具合の悪い、次のような理論的前提に基づいているからである。

 北方四島は今後の交渉次第で日露いずれの領土になるか未確定の地域である。主権帰属に関し黒白が決せられていない灰色地帯であり、それゆえ、そこに出入りする日本人にパスポートの所持またはビザ取得が免除される-。

 ≪ロシアに一石三鳥の共同開発≫

 プーチン氏はビザなし交流プログラムを締め付ける一方で、日本側に対し、四島の「(日露)共同経済開発」を執拗(しつよう)に提案する。万一、日本側が提案に乗ってくれれば、ロシア側に“一石三鳥”の効果をもたらすからである。

 まず経済的利益である。日本のカネ、モノ、ヒト、科学技術が四島や周辺海域に導入され、現地経済が一気に活性化する。つまり、ロシア中央、サハリン州政府が十分やれないことを、日本が肩代わりしてくれることになる。

 次に法的利益である。共同開発の実施に伴って発生する事故、犯罪、トラブルはすべて、四島を実効支配するロシアの法律によりロシアの裁判官の手で裁かれる。そのことを通じて、ロシアによる事実上(de facto)の四島支配は、法的(de jure)な支配にまで高められる。

 そして心理的、外交的利益である。経済的利益が得られる限り文書の上でどの国に主権が属するかはさして問題ではないといった心理を、元日本人島民の間に醸成でき、さらには、日本人一般が「経済的利益に目がくらんで、ついに領土返還を諦めた」というイメージを全世界に広げられる。そこまでいければ、万々歳である。

 プーチン氏の大統領返り咲きは99%動かないかもしれない。それはしかし、次期政権が無事安泰であることを意味しない。6年の任期中には、北方領土をめぐる多元方程式の他の変数にも必ず何らかの変化が表れよう。日本側が諦めない限り領土の返還はいずれ実現する。「北方領土の日」の今日、改めてそう胸に刻みたい。


(きむら ひろし)