【解答乱麻】元高校校長・一止羊大
1月16日、最高裁は国旗掲揚、国歌斉唱を拒む教員を処分する際の新たな基準を示したが、私は、この判決にどうも納得がいかない。
判決は、教職員に対する起立斉唱の職務命令は合憲であることや国歌斉唱時に教職員が起立しないのは職務命令違反であることを認めながらも、不起立回数だけを理由にして戒告を超える処分をするのは「社会観念上著しく妥当性を欠く」として、停職1カ月の処分(1人)と減給処分(1人)を取り消すよう命じた。私には、これはあまりにも学校現場の状況や市井(しせい)一般の見識から乖離(かいり)した判決であるように思われる。
都教委から停職1カ月の処分を受けていたのは、職務命令や校長の指導に従わず過去2年度にわたって3回も不起立を繰り返して戒告処分を受けていた教員であり、減給処分を受けていたのは、過去の入学式でふさわしくない服装をし、校長の職務命令にも従わず戒告処分を受けていた教員である。民間であれば、会社の方針や職務命令、上司の職務上の指導に従わない職員は、もっと厳しい処分を受けても不思議ではない。
判決は、国歌斉唱時に不起立を繰り返したとしても式を積極的に妨害するものではなく、物理的に式次第の遂行を妨げるものでないから、停職処分は裁量権の範囲を超えていて違法だと言い、式典の進行を妨害していないから減給処分は重きに失し、違法だと言っているが、この論理には、教育公務員である教員の職務とその重みに対する思慮が全く欠けていると言わなければならない。
国旗国歌の指導は学習指導要領に定められていることであり、教員は国旗国歌を指導する職務を負っている。当然の職務を果たさず、何度も職務命令や校長の指導に背くことがあれば、停職や減給の処分を受けても当然ではないか。式典を積極的に妨害するのは、教員でなくても許されない。それを教員処分の基準とすること自体がそもそも的外れだ。戒告は、不利益処分であるとはいえ、法的には最も軽い懲戒処分である。何度も職務命令や校長の指導に背いても処分が戒告止まりだとすれば、教員のやりたい放題を実質的に助長してしまう恐れがある。
担当判事の一人は「教員の精神的自由は特に尊重されるべきで、職務命令は違憲。不起立は消極的不作為で法益の侵害はほとんどない。戒告処分でも過剰。口頭や文書での注意や訓告が適切」などと、もっと原告寄りの意見を表明しているが、これは、日教組など教職員組合の先生たちの主張とうり二つで、内心の自由と職務遂行との区別がつかず、学校における式典の意義や教員の職務の何たるかもわからない人間の言い草という他ない。「口頭や文書での注意や訓告が適切」とは、能天気が過ぎる。同様の問題で自殺した校長のことは、もはやこの判事の念頭から消えてしまっているのだろうか。大阪市の橋下徹市長は、教員の国歌起立斉唱について、「思想の問題ではなく、公務員としての服務規律の問題だ。服務宣誓をもう一度させ、できないなら辞めさせたらいい」と述べたとのことである。私は、これこそが市井一般の見識だと思う。
最高裁の判決は重い。この度の判決には当然従わざるを得ないが、裁判官は宙に浮いた法理論に陥ることなく、物事の本質を射た判決を出してもらいたいものである。
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【プロフィル】一止羊大
いちとめ・よしひろ (ペンネーム)大阪府の公立高校長など歴任。著書に『学校の先生が国を滅ぼす』など。