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火炎瓶事件で支那人を起訴=韓国検察・日本大使館に火炎瓶投げた男「祖母が従軍慰安婦にされた。曾祖父が独立運動して拷問の後遺症で死亡」と供述・全て嘘!日本が朝鮮の拷問を廃止!講演会「激増!在日中国人の脅威」
ソウルの日本大使館に火炎瓶投げた支那人
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120127-00000014-yonh-kr
韓国検察 日本大使館に火炎瓶投げた中国人を起訴
聯合ニュース 1月27日(金)11時31分配信
【ソウル聯合ニュース】ソウル中央地検は27日、ソウルの日本大使館に火炎瓶を投げつけた30代の中国人の男を建造物放火未遂罪などで起訴したと発表した。
検察によると、男は焼酎の瓶で火炎瓶を11個製造し、今月8日午前、うち4個を日本大使館に投げつけ外壁を焦がした。
男は調べに対し、自分の祖母が旧日本軍の従軍慰安婦にされたことや曾祖父が日本の植民地時代に独立運動を行い、拷問の後遺症のために死亡したなどと供述。日本に対し腹を立てていたと話している。
また男は、昨年12月に李明博(イ・ミョンバク)大統領が韓日首脳会談のため訪日した際、慰安婦問題に関する両国間協議を拒否する野田佳彦首相の発言に激怒し、東京の靖国神社にも火炎瓶を投げつけたとされる。
男は韓国に来る前、東日本大震災の被災者を支援するボランティア活動をするため日本に滞在。中国に帰国すれば公安当局に逮捕される恐れがあるため韓国に来たという。
>男は調べに対し、自分の祖母が旧日本軍の従軍慰安婦にされたことや曾祖父が日本の植民地時代に独立運動を行い、拷問の後遺症のために死亡したなどと供述。日本に対し腹を立てていたと話している。
この支那人は、「韓国出身の母方の祖母が旧日本軍の従軍慰安婦にされた」とか「曽祖父が独立運動を行い、投獄、拷問を受けた」などと、韓国の警察に話しているそうだ。
しかし、この2つの供述は、どちらも嘘だ。
僅かに可能性があるとすれば、「韓国出身の母方の祖母が慰安婦にされた」ことだが、日本軍など日本人が朝鮮人を強制的に慰安婦にした資料は皆無だ。
朝鮮人の女衒が朝鮮人女性を無理やり慰安婦にした事件は起こっていたが、日本の官憲は朝鮮人の女衒に誘拐された朝鮮人女性を救出したりしていた。
(関連記事 )
日本の官憲は悪徳女衒(鮮人)に誘拐された朝鮮の女性を救出していた
恨むなら、日本人ではなく、朝鮮人を恨むべきだ。
また、もう一つの「曽祖父が独立運動を行い、投獄、拷問を受けた」ということは事実として有り得ないことであり、100%嘘だ。
李氏朝鮮時代の拷問が酷かったことは世界的に知られていたが、1905年に日本の保護国となり、統監統治が始まると、日本と同様にすぐに拷問は廃止された。
朝鮮での拷問禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。
1908年の法令改正によって拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。
これにより、長年続いていた朝鮮での残虐な拷問は廃止となった。
日本の統治によって、朝鮮での拷問が廃止されたのだ!
李氏朝鮮時代に行われていた残酷な拷問などについては、朝鮮を訪れた外国人が様々な記録を残している。
次にその一例を紹介する。
取り調べ、監獄について
「ある日1人の若い常民が、両班の子弟と喧嘩している内に、誤って斧で脇腹を一撃して殺してしまった。殺人犯である常民は、即座に捕らえられ守令の前に連行された。証人の中には被害者の父親もいた。一言二言三言訊問した後、守令は斧を持ってこさせてその父親に手渡し、縛られたまま地面に倒れている殺害者を指さしながら、『こやつが、どのようにお前の息子を打ち殺したか、見せてみよ』と言った。
守令はその父親に犯人をその場で殺害させ、煩わしいこの事件から早く逃れてしまいたかったのだ。」
「大きな邑には、捕卒から報酬を受けている盗賊の頭目が数人いつもおり、人々が彼らの行為に耐えられなくなった時か、守令がいつになく強い脅しをかけた時に、法廷に突き出されてくる。
彼らを逮捕する時にも、比較的軽い犯罪については合意が出来ていて、それから捕卒が告発し、被告が是認する。重大な問題に関しては、すべて堅く沈黙が守られ、真犯人が自分の犯罪に対してそれ相応の懲罰を受けるようなことは稀である。
のみならず政府は必要なときに備えて大胆で図太い補助者を自らの手元に確保しておくため、世間に名の知れた数多くの泥棒を自由にさせておく。」
「許されている拷問が、未だ数多く残っている。次に主要なものを挙げてみよう。(詳細省略)
1.棍杖(長さ1.6-2メートル、幅20センチ、太さ4.5センチ位の棍杖で殴る)
2.平棒、笞、棒杖
3.骨の脱臼と屈折(3種類ある。その内の1例は、両膝と両足の親指を縛り、その間に2本の棒を入れ、反対方向に引っ張る)
4.吊り拷問
5.鋸拷問或いは足の鋸引き
6.3稜杖(木製の斧若しくは鉞で肉片を切開する拷問」
シャルル・ダレ
(李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して)
「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」
「悲劇の朝鮮」スウェーデン人 アーソン・グレブスト
日本は、大韓帝国を併合する前の保護国としていた時代に、それまで朝鮮にあった残酷な拷問や刑罰などを廃止させた。
しかし、今の韓国では、日本の保護国になる前や戦後(日韓併合がなくなった後)に朝鮮で行われていた残酷な拷問や刑罰などを「日帝の仕業」として宣伝している。
少し調べればすぐに正反対の大嘘と判ることだが、韓国によって大規模な反日記念館が建造され、そこで歴史を偽造され、そこに訪れる韓国人や外国人たちが騙されている。
この捏造「お化け屋敷」(西大門刑務所歴史館)を訪れて見学する外国人は、日本人がとても多い。
私は、2009年6月21日
(日曜深夜)にTBSの「報道の魂」という番組で、韓国に修学旅行に行った立命館高校の生徒達がこの「西大門刑務所歴史館」を見学した様子を見たことがある。
「西大門刑務所歴史館」では、拷問室や死刑場などと称される所で人形や悲鳴などを使って、日本の朝鮮人弾圧を宣伝している。
この刑務所は、もともと1908年に日本が「京城監獄」としてつくったものだが、歴史の真実は以下のとおり。
▽▽事実▽▽
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李氏朝鮮時代の拷問が酷かったことは世界的に知られていたが、1905年に日本の保護国となり、統監統治が始まると、日本と同様にすぐに拷問は廃止された。
朝鮮での拷問禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。
1908年の法令改正によって拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。
これにより、長年続いていた朝鮮での残虐な拷問は廃止となった。
更に、日韓併合前は「1坪に15~16人」詰め込んでいた監獄が、1910年の後半には「1坪当りの収監者数を5人以内」にし、1922年頃には「約2.9人」まで大改善された。
これによって囚人はいつでも横になって寝る事が可能になった。
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このような歴史事実を無視して、現在韓国は、「西大門刑務所歴史館」や「大韓民国独立記念館」で、日本による朝鮮人弾圧を偽造して大々的に宣伝している。
韓国の歴史偽造も許せないが、立命館高校のように日本の教職員が高校生を反日捏造記念館に連れて行ったり、TBSのようなマスコミが韓国のの大嘘を事実として公共の電波を使って放送したりすることはもっと問題だ。
立命館高校とTBSは恥を知れ!
日韓併合時代に朝鮮で独立運動に参加した朝鮮人が拷問されたという話は、当時、朝鮮ではなく上海に居た朴殷植という奴が噂や妄想を基に書いた『独立運動之血史』というホラー小説がソースとなっている。
●関連記事
3・1事件はテロ事件
独立運動ではない
両班、元軍人、共産主義者、米宣教師に誑かされたキリスト教徒などによる暴動
『血史』は内容も犠牲者数も嘘出鱈目オンパレードのホラー小説
韓国独立記念館はお化け屋敷
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-1832.html
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(韓国の教科書は朴殷植の『独立運動之血史』の記述に基づいて、総督府による三・一事件の弾圧を糾弾している)(韓国の教科書では)監獄(刑務所)に収監された人数は「5万人」と、実際の6倍にしている。
朝鮮全土に当時、刑務所は監獄8、分監12しかなかった。
三・一事件で収監されたのは約8500名で、定員オーバーであった。
「5万人」という人数の収監能力などは物理的に途方もない。
入監者数については、朝鮮総督府が正確に把握しており、1919年5月10日現在、8437名であった。
韓国の教科書は出鱈目な数字を書いている。
ホラー小説の類である『独立運動之血史』が何ら信憑性がないのは、次の記述一つだけで充分だろう。
両手・両足を切断された人間が即死しない、そればかりか手がないのに自分で衣服を着ることができる、足がないのに自分で歩いて帰宅できる、というのである。
また、手足を切られたあと3日間も食事を与えられずとも元気で官憲を罵倒しつづけたという。
マンガでもここまでの描写はできない。つくり話もほどがある。
『血史』の虚偽性は、議論以前である。
「女子高等普通学校(当時の女子中等学校の名称)の廬永烈は、裸体で十字架の上に仰臥させられた。
日本人は、後列の十字架の傍に炭炉を置き、鉄線を真っ赤に焼いて廬永烈の乳頭を三、四回刺してからその縄を解き、刀で四肢を断ちおとし、まるでまこも(菰)のように分切した。
血が雨のようにしたたりおちた。…が質問して、「お前はこれでもなお『万歳』を叫ぶつもりか」と言った。
彼女はこれに答えて、「独立が達成できなければたとえ死んでもやめない」と言った。
…数日間も食事を与えないで、三日目にふたたび拷問を加えた。
…やむをえず、衣服を抛(ほう)りかえしてよこし、きびしく警責を加えた後に釈放された。……」(231~2頁、212頁)
また、『血史』は1919年3月の1ヶ月間で収監されたものは「数十万人をかぞえ…」(212貢)としているが、前述したように実際には1万人にもならない。
そればかりか30頁ほど前の183頁では収監人数を「4万7000名以下」としていた。
なぜなら、そこでは「逮捕者4万6948名」と記述しているからである。
逮捕者からかなりの即時釈放者を引いた残りが収監者である以上、これ以下になるからである。
このように、『血史』では、「数十万人」という212頁と、「4万7000名以下」という183頁の、収監者数が10倍も異なる。『血史』のはその時その時に思いつくままの捏造数字であるのは明らかだろう。
要は、『血史』の数字や描写を引用していたすべての研究書・専門書は、完全なる歴史歪曲、歴史偽造のそれであって、いっさいの学術的価値はない。
ということは、この『血史』に基づく、在ソウルの「歴史館」は、「ホラー映画」と同類の、空想と妄想で創った「東洋一のオバケ屋敷」となる。
真実を求めず歪曲と偽造の韓国とは、根本において「文明以前」であり、野蛮国である。
『血史』のような品性も知性もない嘘だらけの作品を書く人物を数多く出したこと自体、韓国は国家として恥ずべきだろう。
『歴史を偽造する韓国』中川八洋著
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このように、この支那人の供述は、嘘出鱈目ばかりで、全く信用できない。
この男は、「先月26日に靖国神社の門扉にも火炎瓶を投げた」とも話しており、警視庁が逮捕状を取り、身柄引き渡し請求をしている。
日本の警察は、嘘八百の支那人に騙されないように、注意して事実を突き止めてほしい。
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【1月28日】講演会
「激増!在日中国人の脅威 -元警視庁「通訳捜査官」が見たヤツらの手口-」
http://shimpuoshirase.sblo.jp/article/53015520.html
維新政党・新風平成24年 新春講演会
講師/坂東忠信氏(元警視庁通訳捜査官)
日 時/平成24年1月28日(土)
18時15分開場、18時30分開会
資料代/1000円
会 場/日本橋公会堂(2階・第三第四会議室)
中央区日本橋蛎殻町1-31-1
地下鉄半蔵門線「水天宮駅」6番出口徒歩3分、日比谷線「人形町駅」A2出口徒歩5分
日比谷線・東西線「茅場町駅」4a出口徒歩6分、都営浅草線「人形町駅」徒歩6分
坂東忠信氏略歴
宮城県出身。昭和61年警視庁に奉職。巡査を拝命後、交番勤務員、機動隊員、刑事、北京語通訳捜査官として新宿、池袋などの警察署、警視庁本部で勤務。
約1400人の中国人犯罪の捜査活動に多く従事。平成15年、勤続18年で警視庁を退職。
退職後は地方司法通訳、防犯講師として活動。
執筆、保守論壇に加わっての講演活動を展開し、外国人犯罪を国内・国外の視点から捉え、防犯を通じて日本に内在する問題を提起、活躍している。
著書に「通訳捜査官」(経済界刊)
「いつまでも中国人に騙される日本人」(KKベストセラーズ)
「日本が中国の自治区になる」(産経新聞出版)など多数。
お問合せ/維新政党・新風本部
電話03-5642-0008 電送03-5642-0009
E-mail:otayori@shimpu.jpn.org
「嘘吐きは支那人朝鮮人の始まり!」