【消えた偉人・物語】幕臣 川路聖謨の面目
時は幕末、来日したロシア全権のプチャーチンとのあいだに千島列島と樺太の国境画定をめぐって息詰まる交渉が行われた。我が方の代表は、幕府きっての国際通として知られた勘定奉行の川路聖謨(かわじ・としあきら)である。
まずプチャーチンは「択捉は何(いず)れの所領と心得られ候や」と口火を切る。川路は43年前の故事を挙げて応じた。プチャーチン殿、かつて貴国のゴロウニンが国後で我が国に捕らえられた一件は御存じであろう。その時、ゴロウニンはウルップ・択捉間を国境とする旨、証文で確約したではないかと。虚を突かれたプチャーチンは、この件を保留するのが精いっぱいだった。
次いで議題は樺太問題に移る。川路は実地調査を行って国境を画定すべきだと主張。一方プチャーチンは、早期に目処(めど)が立たなければ樺太に入植を開始するぞと恫喝した。これに対して川路は、貴殿の態度は何と傲岸か。もはやこれまで、交渉は打ち切ろうではないかと言い放つ。
この川路の剣幕に狼狽(ろうばい)したプチャーチンは、「申立ての眼目は、事を速(すみやか)に致度(いたした)くと存ずる事に候間、御勘弁之(これ)有り度く候」と陳謝する。脅しには屈しない川路の面目躍如たる場面である。当節の政治家や外務官僚とは器量が違う。
しかし、相手は老獪(ろうかい)なプチャーチンである。形勢不利と見るや話題を変え、我々外国船が燃料や食糧を必要とする際は有償で買い取らせて欲しいと持ちかけて来た。川路はその底意が奈辺にあるのか、見逃さなかった。いわく、「瑣末(さまつ)の処へ力を入れ論弁之有り候には及ぶまじく、我朝の人は、人の迷惑難儀を救ひ候て、礼物値等受取り候儀は致さざる国風に候」。
そんな些事(さじ)にこだわりなさるな。我が国は人を助けたからといって返礼など貰わない国柄である、そう回答した。金品を受け取れば商取引と見做(みな)され、通商条約の口実を与えることにもなりかねないからである。
かくて、1855年2月7日、択捉以南を日本領土とする日露和親条約は締結された。近づく「北方領土の日」は、この日にちなんで設けられた悲願成就の記念日なのである。(中村学園大学教授 占部賢志)