「将来」を見据えよ。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【日の蔭りの中で】京都大学教授・佐伯啓思




「未来」は、読んで字のごとく「未だ来ざる」ものである。だから「未来」など予想すべくもないのであって、それについて論じることなど意味はない、ということにもなろう。

 昨年の年初にいったい誰があの東日本大震災を予測できたであろう。大地震を想定して一年の計をたてることなどまったく不可能であった。

 しかし「未来」のことをまた「将来」ともいう。「将来」といえば「将(まさ)に来たらんとする」ものであって、それについては想定しておかねばならない。将にわれわれの前に来たらんとするものとしての時間を、いまここに取り込んでおかなければならない。

 「未来」というバクゼンたる時間を「将来」と見なさなければならない、と言ったのは(むろんドイツ語でではあるが)哲学者のハイデッガーであった。「未来」といえば、そんなものはどうせわかりはしない、といって思考の外にほうり出す。しかし「将来」といえば、それは次の瞬間には差し迫った現実となるのである。

 巨大地震という自然災害が昨年の年初の時点でまったく想定外であったことは致し方ない。しかし、今この時点で、もうひとつの「危機」については思考の枠外だなどというわけにはいかない。

 それは、グローバルな経済危機である。

 現在EUを襲っている経済危機は、このままでいけば相当に深刻な事態となるだろうし、それはもはやEUだけの問題ではなく、アメリカ、中国へと波及し、結局のところ世界経済全体を奈落の底に落としかねない。少なくともかなりの可能性として、この新たなグローバル恐慌を想定しておかなければならない。

 「新たな恐慌」といったのは、2008年のリーマン・ショックによる世界経済のクラッシュに続いて、という意味であるが、実際には、これは一続きのものだ。リーマン・ショックがまだ終わっていない、というべきであり、もっといえば、「リーマン・ショック的なもの」が、世界経済のなかで常態化してしまった、ということにもなろう。

 リーマン・ショックは、グローバルな金融市場へと流れこんできた過剰資本が金融・不動産バブルを引きおこしたことから始まった。バブルの崩壊は金融機関に膨大な不良債権を生みだし、景気を一気に悪化させる。景気回復をはかる政府は、財政政策に頼るほかない。しかしそれは巨額の財政赤字を生みだす。

 だがいつまでも財政赤字を続けるわけにはいかない。そこでまた超金融緩和政策を行うこととなる。こうしてふたたびグローバル金融市場へ過剰な資金が供給される。

 そこで、この過剰資本は、次には、巨額な財政赤字をかかえた国債市場へも流入する。かくて従来は安定資産とされてきた国債さえもが投機の対象とされてゆく。当然ながら、巨額な財政赤字の国がねらわれる。つまり、「国の信用」が投機資本によって翻弄される。

 これが、リーマン・ショックからギリシャ・ショックへ、さらにはEUショックへという流れだ。

 その意味では、今日のEUショックはリーマン・ショックの延長上にあるといってよいが、深刻さの度合いにおいてははるかにそれをしのいでいる。

 リーマン・ショックの場合には、それでもまだ財政発動ができた。また、中国経済が世界経済を牽引(けんいん)できた。しかし、今回はそれも不可能である。EUショックがグローバルなレベルで深刻な景気の悪化をもたらしたとしても、もはや巨額な財政出動は難しい。中国経済にも期待をかけるわけにはいかない。アメリカもきわめて深刻な事態に陥るであろう。こうなると、ほんとうにグローバル恐慌が生じたときに、それを救う「ラスト・リゾート(最後の受け止め手)」は存在しないのだ。

 こうして、今日の世界では「景気回復」「財政健全化」「バブル経済の回避」という3つの要請を両立させることができなくなっている。いわば「トリレンマ」に陥っている。この「トリレンマ」を避ける政策手段は見当たらない。

 確かに、問題を処理するような適切な政策は存在しない。しかし、だからといってこの「しのびよる危機」から目をそむけるわけにはいかない。少なくとも、われわれが「将に来るべき」危機に直面していることは知っておかなければならない。この危機は、地震と同様、いつどのような規模で生じるかは別として、ほぼ必然にやってくるものだからである。それは「未来」の事柄ではなく「将来」の事態なのだ。

 世界経済の不安定化を招いたものは、せんじつめるところ、グローバルな金融市場のなかで異形なものへと膨らんでしまった投機的資本である。つまり、グローバリズム、金融中心経済への移行、IT革命という、この二十数年におよぶ成長政策がそれをうみだしてしまった。政策当局(政府や中央銀行)は、みずからが生み出した怪物によって自らの手足を縛りつけられてしまったのである。

 これはたいへんに皮肉な事態であり、しかも深刻な状態というほかない。もしこの深刻さを認識するとすれば、なすべきことは、グローバリズムから距離をおき、投機的な金融への規制をかけ、自由化路線を転換することである。それはたいへんに難しいことだとしても、「将来」の危機に備えるには、その方向しかないであろう。


(さえき けいし)