苦悩する者のために戦う。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【消えた偉人・物語】ナイチンゲール 




 修身教科書に外国人の教材が多く含まれていたことを知る人は案外少ない。

 なかでも、ナイチンゲールは、フランクリンに次ぎ多く登場した。女性としても日本人を含めて最も多く取り上げられ、戦前の「尊敬する人物」や「理想的人物」像の調査ではいずれも常に上位を占めていた。

 クリミア戦争に従軍、傷病兵を献身的に看護するナイチンゲール(1820~1910年)の姿は、「博愛」を体現する象徴的存在として描かれたのである。

 「戦地に着くと、直ちに野戦病院に入り、看護婦たちをさしづして、傷病兵の看護に当りました。(中略)夜、医師の退いた後にも、ナイチンゲールは、小さい燈火を持つて、一々傷病者を見まつてなぐさめました」

 「戦争がすんでイギリスへ帰つた時、ナイチンゲールは、女帝にはいえつを許されて厚くおほめにあづかり、又イギリス国民は、たくさんの金をおくつて其のてがらをほめました。しかし、ナイチンゲールは、其の金を皆看護婦学校をたてる基本金に寄附して、少しもてがらをじまんするやうなことはありませんでした」。第四期国定修身教科書はナイチンゲールの事績をこう伝えた。

 ナイチンゲールの主な功績は、野戦病院での衛生管理を徹底させ、傷病者の死亡率を劇的に低下させたこと。また、的確な統計資料を駆使して、陸軍の医療衛生問題に対する改革案を考案したことに求められるが、その根幹には「博愛」の精神が貫かれていた。

 「博(ひろ)く人々を愛するのは、我等の守るべき道であります。災難にあつた不幸の人をあはれむのはもちろん、たとひ敵国の人でも、傷を受けたり、病にかゝつたりして死ぬやうな苦しみをしてゐる者を助けるのは、博愛の道にかなふものであります」。修身教科書はこう続けている。

 ナイチンゲール自身は、「白衣の天使」「ランプの貴婦人」と呼ばれることを必ずしも好まなかった。「天使とは、美しい花をまき散らすものではなく、苦悩する者のために戦う者である」とナイチンゲールは繰り返し述べている。

 90歳で没したナイチンゲールの墓碑には、「F・N」のイニシャルのみが刻まれている。これは、英雄視されることを嫌った彼女が生前に望んだことであった。


                          (武蔵野大学教授 貝塚茂樹)