【笠原健の信州読解】
東日本大震災から10カ月が過ぎた。東日本大震災は、巨大な津波が太平洋沿岸を襲い、あらゆる物を飲み込んだ。そして原発事故は大量の放射性物質をまき散らし、日常の生活を奪った。とりわけ原発事故は放射性物質の特性から、気が遠くなるような長く苦しい戦いを覚悟しなければならない。この時期にわが国の核政策を取り上げるのは蛮勇かもしれない。しかし、わが国を取り巻く国際情勢を考えた場合、思考停止を続けてはいけない。
われわれは核のことをほとんど知らなかった、というのが今回の原発事故で明らかになったといえるのではないか。原発事故後、書店にはチェルノブイリ事故などの過去の原発事故や放射性物質の被害などに関する本が山積にされ、慌てて購入した人も多いはずだ。
わが国は広島、長崎への原爆投下で唯一の被爆国として核の脅威を訴えてきたが、政府や電力会社は原発の制御や放射性物質の拡散防止に的確に対応できない無策ぶりを露呈した。民主党政権だったことが被害を拡大したのは疑いのないところだが、自民党政権でもほぼ同様の右往左往ぶりだったろう。
本来、唯一の被爆国なのだから、放射性物質の被害に関する科学的知見や被害拡大防止に関する方策をどこの国よりも有していなければならないはずだったのに決してそうではなかった。
われわれが原発の制御で支援を受けたのは、反核運動者が激しく批判してきた核大国の米国とフランスだった。米国は世界初の、フランスは世界で4番目の核保有国だ。両国をはじめ核兵器を保有している国々は反核運動をはねのけて幾度となく核実験を繰り返してきた。核保有国は核実験を通して非核保有国が有していない核に関する知見を蓄積したといえる。
翻って核保有を選択しなかったわが国はもちろん、核実験をしたことがなく核に関する知見では核保有国と比べて劣ることになる。確かにスーパーコンピューターによるシミュレーションは可能だろう。だが、いくらデータをかき集めたり、文献を読みあさろうとも核実験をしたことがないわが国はインド、パキスタン、そしてあの北朝鮮の後塵(こうじん)をも拝することになるのではないか。
米国、ロシア、英国、フランス、中国の先発核保有国は核実験を繰り返すことによって膨大なデータを保有しており、この点で世界の中で抜きんでた存在なのは間違いない。
小惑星が地球に衝突するのを回避する人類の戦いを描き、核爆弾を積載した宇宙船に米露の混成チームが乗り込んで小惑星に向かうというストーリーのSF映画がある。
筋書きの荒唐無稽さは別にして、この映画のプロデューサーだとしたら、核に関する知見で劣り、国産の有人宇宙船を打ちあげたことがないわが国のクルーを、この宇宙船に乗り込ませることはしないだろう。アジアの国の中から映画に出演するクルーを選ぶとしたら、それは中国のクルーになってしまうのではないか。
民主党政権発足の直前だったが、非核3原則を念仏のように唱えていた政府もようやく動きだし、米国がわが国に提供している「核の傘」を含む核抑止力のあり方について、日米の高官レベルで協議を始める予定だったが、政権交代で立ち消えになってしまった。
産経新聞社が東日本大震災発生直前の平成23年2月に実施した世論調査では、政府や国会が核問題の議論を行うことに「賛成」とする人が86・7%を占め、「賛成しない」は8・5%にとどまった。日米安保体制については「堅持すべきだ」と思う人が77・3%で、「堅持すべきと思わない」が11・4%に過ぎなかったが、米国の「核の傘」を「信頼できる」は54・9%にとどまり、「信頼できない」は32・6%に上った。
今、世論調査をすれば、原発事故の影響でこの調査と同様の結果が出るとはかぎらない。しかし、中国の核戦力の増強や北朝鮮の核実験を受けて、わが国を取り巻く国際情勢の悪化、とりわけ核抑止力の低下に対して、国民はこの時点で正常な意識を示していたのだ。
わが国が非核3原則を掲げている最中、米国、ロシア、中国などの先発核保有国は核戦力の近代化を急ぎ、インド、パキスタン、北朝鮮と後発の核保有国は増え続けた。そして、イランが続こうとしている。わが国がいかに「脱原発」に舵を切ろうとしても原発建設に邁進(まいしん)する国々があるのも同様だ。
「日本はその気になれば1年以内に核武装が可能だ」と、核の潜在的抑止力として原発を位置づけている与野党の政治家が何人かいる。確かに核兵器開発と原発は密接に関連している。
だが、中国や北朝鮮が核恫喝(どうかつ)を加えてきた場合、「1年待ってください。そうすればわが国も核武装できますから。勝負をつけるのはそれからにしてください」とでも願い出るのであろうか。
中国や北朝鮮はせせら笑いながら「今すぐに東京や大阪を火の海にしてやる」と言うに違いない。核抑止力は即時報復可能なものでなければ、抑止力たり得ない。
イランの核開発を巡る情勢が緊迫の度合いを深めている。イランの首都、テヘランで核科学者が爆死したのはテロだとされているが、その真相は判然としていない。真相を探ろうとしても深い闇が広がっているはずだ。米欧がイランへの制裁強化に乗り出したのを受けて、イランのよるホルムズ海峡封鎖、そして軍事衝突という事態もあり得るのではないかという観測も出始めた。
北朝鮮の核保有は、わが国にとってさらに深刻だ。北朝鮮の核開発問題を話し合う6カ国協議の構成国の中で核兵器を保有していないのは日本と韓国だけだ。核に関する知見を放棄して、どうして海千山千の各国と渡り合うことができるのか。
北朝鮮が核兵器を放棄する可能性はゼロだろうが、いかにその核兵器を抑止するのか、北朝鮮からの第三国や国際テログループへの核兵器開発技術の移転や核物質流出という事態をどう防ぐのか。核に関する知見を一方的に放棄したとしたら、わが国が北朝鮮、中国、ロシアの核問題に対峙(たいじ)できるのだろうか。
われわれが核を忌避しようとしても核はわれわれを忌避しない。折に触れてこの小欄で核問題を考えていきたい。