【世界のかたち、日本のかたち】大阪大教授・坂元一哉
■安保政策 核も「想定内」に
「考えられないことを考える」。米国の未来学者ハーマン・カーン(故人)はかつて、米ソ核戦争のシナリオを綿密に分析した著書にそういうタイトルをつけた。あまりに恐ろしくて「考えられない」(考えたくない)シナリオの研究である。研究に没頭するカーンを「パラノイア(偏執狂)」呼ばわりする人もいたという。
だがカーンはこう反論した。自分はたしかに一種のパラノイアかもしれない。しかし昔、ヒトラーが出てきたとき、人はもっとパラノイアになるべきではなかったか、と。
幸い、カーンのシナリオは現実のものにならなかった。だが国家と国民の安全を徹底的に追求するには、カーンのように「考えられない」シナリオも考えておくことが大切ではないか。東日本大震災とそれが引き起こした「想定外」の原発重大事故を省みるとき、その感を強くせずにはいられない。
この点、指導者が交代した北朝鮮が保有する核兵器の例を考えてみよう。経験不足の青年を新しい独裁者にいだく北朝鮮の体制が弱体化することはまず間違いない。体制が弱体化すれば、核の放棄のような大きな政策転換は、さらに困難になる。
北朝鮮はいまのところは、核ミサイルの実用化に成功していないと思われる。だがやがては、それに成功するだろう。
核ミサイルの脅威には核抑止、具体的には同盟国である米国の「核の傘」で対応することになる。北朝鮮は奇妙な政治体制の国ではあるが、自己保存の合理性はあるだろうから、体制がそれなりに安定している限り、この抑止は効くと考えてよい。
問題は、体制に変化と混乱が生じた場合である。何らかの理由で抑止が効かなくなり、核ミサイルが日本に向けて発射されるような可能性もある。万一そうなれば、ミサイル防衛で対応するしかない。この面での能力向上には、より一層の努力が必要である。
ただ「考えられない」ことを考えるという以上は、ミサイル防衛がうまくいかなかった場合における国民の救護や避難のシナリオも考えておかねばならないだろう。まったく身の毛のよだつシナリオだが、これからの日本は、そういうシナリオを「想定外」にしない安全保障政策を持つべきだと思う。
もちろん、北朝鮮をめぐる安全保障政策で、われわれがいますぐに考えなければならないのは、核兵器の使用には至らない朝鮮半島有事にどう対応するかである。いまの日本は、周辺事態法における米軍支援ひとつを例にとっても支援できる場所や物の制限など、準備不足のところがたぶんにある。
また、核兵器は心理兵器であり、国民が極端なシナリオに怯(おび)えるようでは、相手の思うつぼである。国民の頭の中にいつもそういうシナリオが浮かぶ、といったことにはならないようにすべきだろう。
しかし国家の安全保障政策としては、優先順位はともかく、誰かがどこかで考えておくべきシナリオである。国家や国民の安全に関する事柄では「想定外」をなくし、「考えられない」ことも考える。それこそ、日本の政治が「3・11」から学ぶべき第一の教訓ではなかろうか。
(さかもと かずや)