節義を全うし誠を尽くした人。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【消えた偉人・物語】文天祥





宋の忠臣・文天祥(ぶんてんしょう)(1236~83年)は、幕末維新の志士たちが模範・目標にした人物の一人であった。安政の大獄で捕らえられた橋本景岳(けいがく)が獄中において吟じその志を励ましたのが、天祥の詩「正気歌(せいきのうた)」であった。

 志士たちに仰がれた水戸の藤田東湖も、この「正気歌」によって「文天祥正気歌に和す」と題する詩を詠っている。「天地正大の気、粋然として神州に鎮まる」と詠み出され、これも志士たちの間で愛唱される歌の一つになった。国定国語教科書(第3期)には、この天祥の誠忠とその最期のシーンをつづった文章が、載せられている。宋が北方の元に攻められ滅びかけていたとき、天祥は義兵を集めて戦った。しかし、ついに天祥の軍も敗れ、捕らわれの身となり祖国は滅亡した。このときの元の張弘範(ちょうこうはん)と天祥のやりとりが次のように記されている。「宋遂に亡びしかば、張弘範、文天祥に説きていわく、『宋滅びぬ。御身の忠義を尽くすべき所なし。今より心を改めて元に仕えば、富貴は意の如くならん』と。天祥きかず。或る人またなじりていわく、『汝、大勢の如何ともすべからざるを知って、何ぞいたずらに苦しむことの甚だしきや』と。天祥いわく、『父母の病あつければ、尚治療につとむるは人情の常にあらずや。心力を尽くしてしかも救うことあたわざるは天命なり』と。遂に獄に投ぜらる」

 病気の父母に心力を尽くすのは人情、それは国家、主君に対しても同じことだと天祥は言う。天祥は皇帝からも元への仕官を勧められたが、「二朝に仕えず」と首を縦に振らず、獄につながれ刑死した。冒頭に掲げた「正気歌」は、この獄中で詠まれたものである。

 変に臨み危難に逢(あ)っても節義を全うし誠を尽くせる人というのが、本物の人物なのだろう。だからこそ志士たちは、こぞって天祥を敬仰したのである。こういう人の話が評価されず消えていったことは、戦後教育界の大きな不幸、損失であった。

(皇學館大学准教授 渡邊毅)




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国定国語教科書には、よりよく生きる普遍的道徳価値が凝縮されている (写真は復刻本)