【正論】東海大学教授・山田吉彦
江戸時代、鎖国の下では、海外との接点は少なく、限られた情報から世界情勢を分析していた。寛政年間、長崎や蝦夷地に遊学した林子平は、その経験から海防の重要性を感じ、『海国兵談』を著した。中に、「細かに思へば江戸の日本橋より唐、阿蘭陀まで境無しの水路也」という一文がある。
≪海の守り意識した『海国兵談』≫
この時期の知識人はすでに、日本は島国ではあるものの海を通じて世界と結びついているという認識を持っていたのである。ロシアの南下をはじめ欧米諸国の海洋侵出を見極めるとともに日本の国家主権に危機を感じ、「海の守り」を充実することを提言している。
11月18日、インドネシアのバリ島で行われた日ASEAN(東南アジア諸国連合)首脳会議において、野田佳彦首相は「海洋はアジア太平洋地域を連結する公共財」であるという認識を持ち、共同宣言に「海洋の平和と安定が地域繁栄に必要不可欠」という文言を入れた。中国とASEAN加盟国との間に存在する南沙諸島などでの領土紛争、海洋衝突を踏まえて、アジアの海洋安全保障に日本も関与していく意気込みを示した。
だが、米国が明らかにしているアジア回帰の方針に追随し、「航行の自由」を盾にアジアの海洋安全保障の盟主を目指して打って出たものの、他国の動きは野田首相の思惑通りにはいかなかった。首相が就任早々に構想を立ち上げた「東アジア海洋フォーラム」の設置は先送りとなっている。中国は、領土・領海に関する紛争を当事国間の問題とし、東アジア海洋フォーラムが設置され、多国間で議論されることに警戒心を示している。そのため、ASEANが日本に同調するには至らなかった。
航行の自由は無償で与えられるものではない。航行の自由を主張する国は、人類共通の財産である「海洋」の安全を守るために力を注ぎ、国際社会に貢献しなければならない。残念ながら、今の日本はマラッカ海峡での海賊対策には功績があるものの、公海の安全を守るほどの力量は持っていない。まずは、日本国としての海洋政策を確立して海洋に関する知見を充実させるとともに、海洋警察力、海洋防衛力を見直し、航行の自由を唱える準備をしなければならない。実効が伴わない現状は、林子平の時代と大差ないのである。
≪棚上げされた尖閣諸島問題≫
日本は四方を海に囲まれた海国であるが、海洋政策の必要性が議論されたのは94年に国連海洋法条約が発効し、96年に同条約を批准してからである。70年代に海洋政策の意識があれば、日中平和友好条約締結交渉時に尖閣諸島問題を棚上げにすることはなかったであろう。当時は、日本の海の持つ価値、日本と世界を結ぶ海の意味が理解できていなかったのである。
一般的に日本の海といわれるのは、領海と排他的経済水域(EEZ)を合わせたものである。この日本の海が他国と接する海域を日本の国境という。この国境は全て海の上にある。国連海洋法条約の発効で海洋における権益が明確化し、海の国境の意義が重要視されるようになった。まずは日本の国境を守り、安全で豊かな国民生活を確保することが必要である。
沿岸から12カイリまでが領海であり、無害通航権を除いて、沿岸国の主権が通じる。領海内の治安および社会環境を守るのは、陸上と同じように国家の責務である。過去に領海警備の不備は北朝鮮による拉致被害者を出した。また、覚醒剤などの不法薬物、銃器の流入という、国民の生活を脅かす事態へとつながってもいる。
≪海上政策で海洋国家の信頼を≫
国連海洋法条約は、沿岸から200カイリまでの範囲をEEZに設定し、独占的に経済的な権益を持つことを認めている。その権益の代表選手が海底資源の調査・開発、海中の利用、水産資源の管轄権であり、EEZの管理は国家の未来を支える重要なものとなる。
特に昨今は、日本の海が持つ価値が見直され、海洋に眠る資源が日本の将来を支えると考えられるようになった。日本沿岸に存在するメタンハイドレートは、国内で消費されるガスエネルギーの94年分に相当し、開発可能な海底熱水鉱床が含有する稀少金属は、約200兆円の価値を持つという。さらに南鳥島近海では、有望なレアアース(希土類)が発見されている。これだけを見ても、日本の海は十分に魅力的なものである。
現行の海洋政策はしかし、海洋基本計画を見ても抽象的で、海の境界問題など海洋安全保障について具体的な指針はない。これでは、海の恩恵に与(あずか)ることもままならない。まずは、海上政策の基軸を確立することだ。国家として海の知見を取り込む仕組みを作り、海洋管理体制を構築することが必要だ。海上保安庁と海上自衛隊から成る海上安全保障体制の整理、強化も急務だ。離島の安全確保や沿岸部津波対策も考慮して、海兵隊機能の創設も検討すべきだ。
さもなければ、自国の海さえ守れないことになってしまい、アジアの国からも、「海洋国家日本」の信頼を得ることはできない。
(やまだ よしひこ)