本来の意義わきまえ国民的自覚を。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【消えた偉人・物語】祝日と休日は別物





 特異日とされる11月3日の文化の日は今年もよく晴れたいい日であった。澄んだ空に向かって日章旗を掲揚して縁側に座ると、91歳の母が「11月3日は、やはり明治節という言葉がぴったりだねえ」と言った。

 昭和12年文部省発行『尋常小学修身書』巻四の第十七「祝日・大祭日」を引く。「新年・紀元節・天長節・明治節は我が国の祝日でございます。これらの祝日は、我が国にとってまことに大切な日で、宮中では、おごそかな御儀式を行はせられ、国民は、真心をこめてお祝ひいたします。元始祭・春季皇霊祭・神武天皇祭・秋季皇霊祭・神嘗祭・新嘗祭・大正天皇祭は、我が国の大祭日でございます。(中略)これらの大祭日も、祝日と同じく、我が国にとってまことに大切な日で、宮中では天皇陛下御みづから、おごそかなお祭りを遊ばされます」

 皇室については最上敬語を用いて叙述され、祝日と大祭日の大切さが簡潔に述べられている。この課の結びの文章には「私たち臣民は、祝日・大祭日が我が国にとってまことに大切であるいはれをわきまへ、我が国がらの尊いことを思ひ、忠君愛国の精神を深くしなければなりません。さうして、其の日には、国旗を立てて真心をあらはさなければなりません」とある。

 私が小学生の頃には、祝祭日には、どの家も国旗を掲げて見事であった。国民が挙(こぞ)って日本の万世の弥栄(いやさか)を祈り、祝いあった意義深い日であったのだが、今は国旗を立てる家もほとんどない。それとともに、国家意識も薄れ、国民という自覚もだんだん乏しくなった感を拭えず、寂しい。

昭和23年制定の「国民の祝日に関する法律」の第1条には「日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め」とある。国民の祝日は単なる休日ではない。「いはれをわきまへ」たいものだ。

                        (植草学園大学教授 野口芳宏)