小川島鯨骨切唄 島民の誇り刻む。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【都道府県 伝統の教え】佐賀県




 佐賀県唐津市呼子町にある小川島。呼子港から20分、玄界灘に浮かぶ1周4キロの小さな島は昔から捕鯨が盛んな地だ。冬に沖縄周辺で出産を終えた鯨が子供とともに対馬海峡を北上しながら潮を吹くところを海を見張らす丘「鯨見張所」から目を凝らすのだ。

 「ウオー」

 鯨を見つけると、大急ぎで丘から合図が出される。男たちは一斉に捕鯨船に飛び乗り海へ。捕獲された鯨を浜で解体するときに歌い島民の心をひとつにしたのが「小川島鯨骨切唄(くじらほねきりうた)」。勇壮でリズムある歌だ。

 江戸時代から島に伝わり、明治時代には捕鯨会社が設立されるなど隆盛を極めた。島にとって鯨は暮らしの糧であり、男の誇りをかけた格闘相手だった。だが、一方で島民は鯨を供養する「鯨鯢(げいげい)供養塔」なども建立、鯨への感謝を忘れなかった。玄界灘の捕鯨は昭和36年には静かに幕を下ろすが、今でも島では盆や正月、結婚式などの食卓に鯨肉は欠かせない。「小川島鯨骨切唄」は小川島小中学校の児童生徒に語り継がれている。毎月、児童生徒は年に1度の小中学校による合同運動会に向けて習い、披露する。これが島民の息吹や誇り、団結を蘇(よみがえ)らせる場となっているという。