「安心・安全」の土台は「防衛」と「防災」
2011.11.21(月)用田 和仁:プロフィール
はじめに
国家は、当面と将来の両方にわたって対処と備えをしなければ、国家と国民の安全と生存を保障することはできない。東日本大震災対応や政局ばかりに目をやっている間に、安心と安全の根幹である防衛力は、中国の大いなる野望と20年来の大増強の前に風前の灯である。
財政が厳しいからと言って堤防の高さを低く設定するのは、本末転倒であろう。防衛力も同じだ。以下は、2010年中国の国防白書の一文である。
中華民族の優れた文化的伝統および「和をもって貴しとなす」という平和理念に揺るぎなく従い、非軍事的手段による紛争の解決、戦争への慎重な対応、戦略上の「非先制攻撃」を主張する。現在と将来にかかわらず、また、どのような水準まで発展しようとも、中国は永遠に覇権を唱えず、永遠に軍事的拡張を行わない。
中国初の空母「ワリャーグ」〔AFPBB News 〕
聖徳太子の心を国防の理念に持ってくるとは、さすがに懐が深い。一方で、情報化条件下における局地戦に勝利することを目標としている。
中国の言う局地戦は、戦略レベルの非先制とは異なり、毛沢東時代からの先制攻撃を奨励した考え方を踏襲していることが軍系の論評から読み取ることができる。
すなわち、局地紛争では、敵の武力攻撃の「兆候」を認識したら第1撃と見なし、機先を制して攻撃することを原則としているようだ。
また、近海防御戦略とは名ばかりで、実態は、第1列島線(防御線)は日本領土であり、第2列島線はグアムを含み米国および日本領土である。他国の領土を防御線とした身勝手な戦略を堂々と言うところに中国の本質がある。
ベトナムの排他的経済水域(EEZ)内では、ベトナムの調査船のケーブルを切断するなど、実力行使をエスカレートさせ、南シナ海の聖域化のために、軍事力行使を含め手段を選ばず、妥協するつもりはさらさらない。
南シナ海で起こることは、やがて東シナ海でも必ず起こる。
尖閣諸島などは、中国を国際法廷に引っ張り出すか、国際社会と協調して日本が毅然として人を送り込み領有権をはっきりと見せない限り、やがて中国に占領され、中国は他国との共同開発により石油の掘削を始めるとともに、対艦・防空ミサイルを配置して拠点とするだろう。
そうすれば、八重山諸島の全域及び台湾の北部は、その影響力下に置かれる。
日本は、遅かれ早かれ中国の覇権に飲み込まれることを是とするか、米国とともに自由な海洋国家として生き抜くか、選択を迫られることになろう。
中国の本気と真意を見て見ぬふりはやめよ
本音の国家目標は何か
人民解放軍の3軍儀仗(ぎじょう)隊の訓練〔AFPBB News 〕
その本質は、中国共産党一党独裁の下での中国人民の繁栄の追求であろう。あくまでも主役は中国共産党であり、中国人民解放軍も、国民の軍隊ではなく中国共産党の軍である。
すべては中国共産党の統制下での行動が許されるだけであり、国民の真の自由はなく国家の繁栄が第一である。
経済は、確かに資本主義の考え方を入れたが、「強軍強国」の下、その行き着く先は、彼らが言うように、大昔の帝国や王朝時代の自国の版図の回復であるようだ。
言葉を換えて言うならば、中国13億人の民を食わせるためであり、イナゴの大群の如く、食い尽くし、後には何も残らない。力による統制、国際社会のルールの無視、一握りの独裁貴族の繁栄でしかない。
何が中国の国家理念なのか理解に苦しむ。中国の国家観の中で、真に幸せな人は何人いるのだろうか。
少なくとも、大国や覇権を目指す国家は、国家理念が明らかでなければならない。昔ローマは、圧倒的な軍事力を背景に、敗者の国家システムや宗教はそのままにして、指導者は、たとえ敗者であっても能力主義で取り込み繁栄を享受した。ローマの「寛容」である。
米国も「自由」とややおせっかいではあるが「民主主義」を旗印にしている。日本は、最近影は薄くなったが、温かい共同体意識に基づく「調和」、他者への迷惑を最小限にする「恥」という品格と「武士道」に基づく強さを持っていた。
それでは、中国はどうなのか。
中国の南シナ海や尖閣諸島などを「中国の国内法」で自らの領土として、軍事的な行動も辞さない態度や、例えば中国新幹線は、日本の企業から技術提供を受けたのは明らかなのに、中国の技術として他国で特許申請をすることは、国家として品格がないと言わざるを得ない。
今までもそうだったが、これからも中国に進出する企業は、中国の身勝手な態度で、技術もカネもそして最後にはその会社も乗っ取られることになるかもしれない。なぜなら、これが中華思想だからだ。
他者を強制的に取り込み、強引にその文化をも飲み込み、中華の華夷秩序の中に「中華の一員」として位置づけ、中華の繁栄のために存在を許すことになる。そのように考えれば合点がいく。
習近平国家副主席〔AFPBB News 〕
次の中国の国家主席になるであろう習近平国家副主席も、その容貌から穏やかなイメージを持つ日本人も多いだろうが、そう甘くはない。文化大革命で辛酸を舐めながら、最高指導者へ這い上がろうとしているのも、熱烈な共産主義者だからだ。
一方で、開放経済の先駆者でもあり、いかに国力を富ませるかも知っている。2009年のウイグル暴動の鎮圧を主導したのは習近平国家副主席であり、国家の秩序維持のためなら容赦はない。
ウイグルに残ったものは、悲しい密告社会である。習近平国家副主席はやがて権力闘争にも勝ち、軍部も掌握するだろう。中国の問題は、何のために、どんな理念を達成しようとしているかだ。
中国は、国家としての大転換がない限り、他国に理解されようがされまいが、中華民族の偉大なる復興を目標とした「大中華帝国」の建設のために、その勢いは止まらない。
その姿は、第1列島線(南西諸島、台湾からフィリピンの南シナ海側を結ぶ線)内の軍事的聖域化と米国に対する核反撃能力の保持を背景とした、アフリカから中国にかけてのユーラシア大陸の沿岸部の繁栄の独占である。
第1列島線内における軍事的聖域化の具体的方策
1995年に中国は大陸国家であると同時に海洋国家であると宣言した本心は、ここにあると考えて間違いないだろう。そして、ぶれることはない。それが、独裁国家の強みでもある。
これを実現させるために、近海防御戦略に基づき、米国に対する核打撃能力は、移動型の地上発射型から、残存性が高い潜水艦発射型へと進んでいる。
また、公刊文書によると、2015年までに第1列島線と中国が呼んでいる南西諸島のライン、第2列島線と呼んでいる横須賀を含むグアムのライン、そしてその中間の沖ノ鳥島のラインの3層のミサイル網が出来上がるようだ。
中間ラインのミサイルは対艦弾道ミサイルと言われるもので、強力な対艦火網となる。中間ラインでは、今年は潜水艦を含む対艦ミサイルを搭載したソブレメンヌイ級駆逐艦3隻を含む艦隊が演習を行ったが、これに爆撃機からの対艦ミサイルの攻撃が一体化すれば、相当な打撃力となろう。
また、第1列島線内(南西諸島)は、スホーイ等の戦闘爆撃機による対艦攻撃、地上からの対艦ミサイルによる攻撃、さらには、022型のホウベイ級の高速対艦ミサイル艇の充実など、厚みを増した対艦攻撃網が張り巡らされつつあり、その損害を省みない攻撃を考慮すると、もはや空母やイージス艦とはいえ容易に行動することは困難となろう。
彼らの本気度は、空母の建造だけではなく、病院船を造ったことにも表れている。
東北の大震災でも中国は病院船をオファーしたが、実は1万トンを超える病院船を保有している海軍は米海軍だけであり、海洋進出にかける思いは中途半端ではない。
これらの運用を可能とするサイバー攻撃機能を含む情報・通信のネットワークは、やがてその能力を発揮し始めるだろう。そして、中国が聖域として覇権を握ろうとしているエリアは、まさに中国の近海であり米国に比べ圧倒的に中国に有利である。
今の中国は、勝つためにはなりふり構わず、着々と勝つ態勢を整えているように思われる。そのためには、近代兵器を揃えながらも、旧式の装備もフルに動員して、非人道的と言われようが、人海戦術という泥臭い戦術も併用して勝つことだけを追求するであろう。
少しの損害でうろたえてしまうような日本や米国とは根本的に異なっている。米海軍の空母は絶対に沈められないと思い込んでいる軍事専門家も多いが、もっと謙虚になるべきだ。
日本も第2次世界大戦の初期、それまで絶対に沈めることは不可能だと言われていた英国の戦艦を、日本の海軍航空隊が、しかも動きの鈍い大型の爆撃機をもって撃沈し、航空機優勢の時代を創ったことを思い起こしてもらいたい。戦いに絶対はないのである。
台湾有事よりも日本有事を恐れよ
米中にとって台湾と日本とは何か?
台湾が開発中の対艦ミサイル「雄風3」〔AFPBB News 〕
中国は、米国との決定的な対立を回避しながらも、核心的利益である南シナ海や、やがて拡大していく東シナ海の聖域化とアフリカ、中東へと繋がる繁栄の弧の覇権の獲得は、妥協することはない。
特に第1列島線内は中国にとって死活的重要(バイタル)なエリアであり、その中でも台湾は聖域の中核に位置する。また南西諸島は、海洋からの中国の中枢部への直接的な影響力を排除するためにバイタルな要域である。
冒頭にも述べたように、このエリアの戦闘を局地紛争と位置づけており、先制的な自衛権の行使をためらわないことが特色である。
米国が中国の第1列島線内の聖域化に根負けするかどうかは、一にこのエリアを米国がバイタルと考えるか、米国本土に直接影響力が及ばなければ、中国と繁栄を享受する妥協点はあるのか、そして、台湾、日本が本当に守るに値する国であるかどうかの判断にかかっていよう。
日本有事と一言で言うが、日本全土に対する核を含む本格的な攻撃と、南西諸島に限定した戦いでは、大きく様相は異なる。台湾有事、そして南西諸島有事においては、米中双方とも核兵器使用はリスクが大きく、米中相互を目標として使われることはないだろう。
台湾有事
圧倒的なミサイルと陸海空軍力を見せつけている中国は、明日にでも条件さえ揃えば軍事力を持って併合することなど簡単に思えるが、軍事力を使うことは、ほとんどないだろう。なぜなら、中国の「同胞」として、統一後が大切だからである。
時間をかけ、無傷で手中に収めるため、あらゆる手を尽くすだろう。経済的に融合して台湾の経済力を十分に取り込み、軍事的には、常時駐留しなくとも日米安保のように要点だけを取り、いざとなったら、中国海空軍を進駐させれば十分である。
一国二制度で妥協して、台湾人のプライドを傷つけないようにすることでも満足だろう。今の中国の台湾に対する経済的なアプローチは極めて有効であると認めざるを得ない。
さらに、中国人の個人まで台湾の旅行を解禁したことは、もはや台湾は中国に身を投げ出したも同然である。
最近の退役した台湾軍の将軍たちが、中国本土で厚遇を受け、「台湾軍も中国解放軍も同じ中国軍だ。歴史的な任務と使命の中台統一に向けてともに頑張ろう」と発言したという報道からも、台湾軍も真剣に中国と戦うかどうかは疑問である。
先述したように、第1列島線内の状況は、日に日に近海である中国にとって有利になってくるだろう。確実に台湾有事は遠のいたと言える。
たとえ、中国が軍事的に攻略するとしても、かつて、第2次世界大戦でノルマンディーに上陸して大陸を大戦力で席巻したような戦いにはならない。
国際社会の反応や米軍の動きを考慮して、中国の軍事力が相対的に高まり、米国による抑止の綻びが見えたときには、一挙に短期決戦を追求するだろう。最初は、米空母の来援を遅延させつつ、サイバー攻撃と連携したミサイル攻撃と特殊部隊の攻撃で圧倒する。
爾後は、地上軍により海岸道を遮断して台北を孤立化し、反対勢力の旗を落とし、傀儡政権を作るだけで終わりである。後は得意の治安警察を大量に動員して制圧するだろう。
日本(南西諸島)有事
それは、海軍力の策源たる聖域を守る壁であり、中国の心臓部へのアクセスを拒否する壁である。南西諸島へ進出する大義もある。
それは尖閣諸島が中国の領土であること。これを足がかりとして尖閣を領有するときに邪魔をするならば、局地紛争の論理により南西諸島に展開する自衛隊を敵対的として「先制攻撃」することもできる。
さらには、自国民の保護を名目として南西諸島全域に対して自衛権を行使することも可能である。古典的な戦争拡大の論理である。その時中国は沖縄も実は実質中国と一体であったとも言うだろう。失った版図の回復も中国の主張の根拠でもあるからだ。
中越紛争の時の中国の言い訳が「懲罰を与える」であったこともある。日本は、台湾と異なり中国にとって憎しみの対象であり、これに対して反論するどころか、政治家も含め贖罪意識だけを日本人に刷り込んでいる現状は、もはや日本人が自ら精神的な抵抗の意思を失っていると言わざるを得ない。
先に台湾を取り巻く軍事環境は厳しいものがある述べたが、しかし、その中にあっても台湾人としての誇りと自由と民主主義を重んじる独立国家であるという気概を持っていることは、日本よりもはるかに強い意志を持っていると言えよう。
日本は、独立国家としての強い気概の下、南西諸島に国土防衛の鉄壁の防波堤を作る意思と能力を持たねば、米軍は来援しないし、まして中国の侵略の意思を挫くのは不可能である。
今回の震災でお分かりのように、非常事態における断固とした政治の決断がないと防衛は成り立たない。さらに、有事法制においても、自衛隊の行動の足枷ばかりである。国民や政治家に決然たる覚悟や精神的支柱もなく、制度も不十分な国は実に脆い。
一方、中国にとって、何も軍事力を行使するという危ない橋だけを渡る必要はない。最も簡単なのは、反軍、反米、反自衛隊闘争を煽り、米国に日本の駐留を断念させることだ。平和的に熟して落とすのが最良である。
米国も日米同盟という「契約」はあるが、日本に本気がなくてどうして契約を履行しようか。
たとえ軍事力の行使に当たっても、直接、沖縄へ軍事力を行使せず、例えば、奄美諸島のどこかの島を取ればもはや九州からの戦力は流れず、通信も途絶してしまう。南西諸島を干上がらせるのは、いとも簡単なことである。
今のままでは、日本は自ら日本有事を引き寄せているようにも見える。守りの敷居は低く、歯止めは極めて弱体である。
結局、軍事的な中国の覇権確立の動きに対し、日本が米国や国際社会の国家と協力をして、その軍事的野心を断念させ、協調の戦略環境を作っていくことをどれだけ本気で考え、実行していけるかが重要だ。
すでに米国は海洋国家の雄として、海上交通の自由を守ると決意した。日本は米国とともに海洋国家として共に生き、そのためにも、南西諸島はなんとしても守り抜くし、沖縄の米軍の引き続きの駐留は、日本にとって死活的重要であると国家として宣言することが必要である。
幸いなことに米国は、太平洋正面において海・空戦力を主体としたエアシーバトルコンセプト(空海作戦構想)を打ち出している。
これは、日本の「盾」としての国土防衛と、「矛」としての米国の攻撃力が見事に合体する考えであり、軍事作戦上の不整合はないが、一方で米国の国防費は大きく削減されていく。日本は今まで以上に、より一層の努力が求められていることを自覚すべきだ。
防衛を意識的に「想定外」とすることなく、陸海空の統合運用、日米共同対処の充実はもちろん、防衛費を投入して、人員・装備も充実させなければならない。
政治家も国民も見て見ぬふりをせず、圧倒的な軍事力の増強を続ける中国を尻目に、年々減り続ける日本の防衛力を直視すべきである。このような中でもいまだに中国への政府開発援助(ODA)が続いているが、少なくともこの無駄金は日本の国防のために充当すべきだ。
防衛も立派な成長産業であるし、積極的な失業対策でもあることを認識すべきである。経済の専門家ではないので詳細は避けたいが、特に今の政権は社会主義、共産主義的な色彩が強く、これでは経済が強くなることは望めないだろう。その経済の失敗のつけを防衛費の削減に繋げることなどもっての外としか言いようがない。
つづく