ここでもう一度南西諸島の価値を整理しておきたい
日米にバイタルな価値がなく、中国も海空のみならず、地上軍も侵攻の可能性がないのならば、警戒・監視だけでもよいが、そうではない。
(1)中国にとっての意義はすでに十分に説明した。最終的には、近海防御戦略として具体化し、着々と軍事力を整備し、訓練を拡大している。積極的に考えれば、南西諸島は、中国にとって、中国本土を守る「外壁」であると同時に「出城」でもある。
さらに、チョークポイントオペレーション(海峡作戦)は、海軍にとって航行の弱点を曝け出さないために極めて気を使う重要な作戦である。
かつては、海峡や港湾に要塞砲等を配置して航行の自由を制約した。今は対艦・対空ミサイルを配置することにより海峡の支配は容易だ。また、海空の流動的な戦力では、常時優勢を保持するのは困難である。ここに中国にとっての南西諸島のバイタルな意味がある。
このため、地上軍を含めた軍事的な支配の必要性はきわめて高い。少なくとも、軍事的に敵対させないために無力化することは必須である。
(2)米国にとってグアムのいわゆる第2列島線には、実質遮る壁はない。南西諸島で中国の海洋進出をコントロールできなければ、米海軍の南シナ海への進出は困難になるばかりか、中国の艦船の西太平洋における行動を阻止することは困難となる。
さらに、中国の南シナ海への核ミサイル搭載型の潜水艦の配備を待たずして、比較的中距離の弾道弾を発射する潜水艦でも米国本土への打撃が可能となる。
結果、中国の海洋戦力の行動の自由と中東・アフリカへと繋がるユーラシア大陸沿岸部の繁栄を独占されることになるだろう。日本も米国の理解を得るよう努力しなければならない。
(3)日本にとって南西諸島を失う意味は、すなわち、155万人の国民、主権、国土の喪失である。
また、南西諸島が中国によって「解放」されれば、南シナ海から繋がる日本のシーレーンは中国の制海・空権下に置かれるとともに、日本の政経中枢が集中する、いわゆる太平洋ベルト地帯は中国の軍事的影響下に置かれることになる。
このことは、もはや日本は米国と共に海洋国家として生きることは不可能であることを示している。すなわち、日本は「自由」を失い、中国の軍門に下ることになる。
(4)ここで地上軍の役割について述べたい。南西諸島の作戦において、海空戦力が決定的な役割を果たすことは、疑いのない事実である。
だからと言って、島嶼に対する地上軍の攻撃が、ゲリラや特殊部隊などであろうと言うのはいかにも短絡的、かつ、浅い読みである。その誤りの原因は主に2つある。
その1つは、地上軍による島嶼攻撃の目的が、単なる島嶼の「占領・支配」にあるのではなく、「海空戦力発揮の基盤の確保」にあるということである。
その意味するところは、南西諸島の価値はきわめて高いことから、その軍事作戦の最終の理想的な姿は、海空軍を進駐させ、さらに対艦・対空ミサイルを配置して、確固たる海空優勢の態勢を作ることにある。
配備の順番は逆になるが、ロシアが、地上軍で固めた国後、択捉の北方四島に対し、今年に入って対艦・対空ミサイルと対戦車ヘリコプターを新たに配置したことと結果的には同じことだと言える。
すなわち、地上軍の役割は、海空戦力とミサイルを守ることが第一の任務となる。一方、日本にとっては国土防衛である以上、あらゆる犠牲を払っても、島嶼に空・陸戦力を投入し、守りを固めんとするのは常識だろう。
これに対し、中国の作戦立案者は最大の脅威・障害を念頭に作戦を立てるのは、これもまた常識だ。
そのため、邪魔をする島嶼の地上部隊を払いのけ、進駐させる海空軍及びミサイルを守り、そして、日米の島嶼奪回作戦に堪えうる地上軍を準備し、投入するのは極めて自然な考えである。
2つ目の誤認は、侵攻様相の分析の甘さにある。上陸作戦というと第2次世界大戦におけるノルマンディー作戦や朝鮮戦争の仁川上陸作戦のような大反撃を思い浮かべるだろう。
大規模な艦砲で上陸地点を圧倒的に制圧し、多数の上陸用舟艇で海岸に上がり、橋頭堡という足場を作って、そこから地上軍を上陸させ、港を取り内陸へ侵攻するというものだ。
今、これを再現できる国はない。米海兵隊ですら、海岸というよりは、むしろ水平線の彼方から発進し、高速で敵の後方深く進出し展開する考え方に進化している。
さらに、南西諸島は、珊瑚礁に囲まれ、波も荒く、そのような上陸作戦は限定されたものになろう。だからといって、ゲリラや特殊部隊に限定されると言うことではない。揚陸艦や水陸両用車ばかりに目が行くからそのような狭い思考に陥ってしまう。
南西諸島においては、港と空港が決定的である。特に、多数存在する港を使えば、地上軍の揚陸は極めて容易である。
孤立した島嶼に対して、サイバー攻撃を含むミサイル攻撃、ゲリラ攻撃などによって、島の中を撹乱できれば、漁船に乗った海上民兵が、あらゆる港に殺到し足場を作ると同時に、空挺部隊を含む地上軍を呼び込むことは容易だ。
日中中間線から白紙的に12時間で南西諸島に到達できる距離関係にあり、小さな港でも40~50隻は入港できるだろうから、一部海岸も使いながら港の4~5つを利用できれば、先導となる海上民兵の1個師団程度は簡単に上陸できるだろう。
もちろん一例に過ぎないが、戦いは想像力の戦いでもある。東シナ海の中国による聖域化の進展、損害を省みない伝統的な戦い方などを加味すれば、従来の延長線で侵攻様相を語るのは誤りだと気づくだろう。
特に、航空優勢については、航空機の優劣を考えなければ、白紙的に中国は、中国大陸から面的に南西諸島の横っ腹へ大量の航空機を飛ばせ、長距離ミサイルで攻撃できるのに対し、日本は、主として九州から南西諸島へ飛ばすと、自ずから線的に距離が延び、このため、固定基地からの戦闘は不利となる。
いずれにしても南西諸島における航空優勢の獲得は容易ではないだろう。
このため、米空母の来援は決定的であるが、これも中国の接近拒否戦略の有効性に左右されよう。このような中で、海空戦力対処ばかりではなく、地上戦力対処についても真剣に考え、備えをしておかなければならない。
東日本大震災から学び自衛隊とこの国を立て直せ
東日本大震災による津波でビルの上に乗った観光船〔AFPBB News 〕
今回の震災は、数百年あるいは1000年単位の大災害と言われ、その被害の大きさに愕然とする思いである。一日も早い復興が望まれる。
その中でも、自衛隊は現場で大活躍するとともに、日米共同の作戦面においても、目を見張る進展があった。
今後は政府も自衛隊も、災害対処だけに特化した教訓で今後の防衛力整備を考えるのではなく、自衛隊の運用のみならず、米軍との共同作戦を南西諸島の統合・日米共同作戦に置き換えたならば、どのような教訓があったのか、以下のようなポイントを掴み早急に改善することが肝要である。
なお、非常時の権限のあり方については、多数の意見が出ていることから、今後の具体化に期待したいが、非常時においては、私権と公権は逆転することを基本として、軍は権限を持つと何をするか分からないという性悪説は捨て去るべきだろう。
●自衛官を有効に使え
自衛官は、危機管理のプロであると同時に、組織化のプロでもある。若いときから状況不明な中でもいろいろな戦闘職種や支援組織を束ね、その力の最大発揮を目指して訓練を積み重ねている。
さらには、日米共同訓練でも鍛えられている。一方で、国の組織は、横並びの調整組織であり、危機においてその力を発揮することは難しい。危機においては、指揮・命令型の指揮官と幕僚組織が必要であり、今回の震災はそれを教えてくれている。自衛官を要所に使うべきだ。
さらに総理をはじめ政府の大臣なども自衛隊の本格的な訓練に、現職として参加し、自らを鍛えなければ危機対応はできないだろう。大学などで軍事学も教えない日本においてはなおさらである。
●ハワイの米太平洋軍などと確固たる通信を含むパイプを強く太くせよ
今回の震災では、日本の支援軍の指揮官として、ハワイの太平洋艦隊司令官(海軍大将)が横田に来て指揮をした。
中将(陸軍は前方司令部のため少将)が日本駐留の各軍種の指揮官であることから、大将がこれを指揮することは合理的であり、また、米軍のエアシーバトル(海空作戦)構想からして、ハワイの海または空軍大将が日本の戦域を指揮することは合理的であろう。
一方、ハワイには、統合作戦の指揮を補佐する常設の幕僚組織があり、また、空軍はいったんことあれば全体を指揮できる統制機能を持っている。
今回は、米指揮官が横田に来たので、陸将補を長とする調整チームを簡単に派遣することができたが、日本有事の場合はそうはいかない。
日本もハワイに「常設の将官を長とする統合の調整チーム」を派遣し、日頃から日本有事や共同災害対処等が有効にできるようにしておくべきだ。
また、東北という地域ではなく、太平洋艦隊司令官に匹敵するオールジャパンの統合指揮官がいないことは、不自然であるとともに、南西諸島の有事においては許されない作戦指揮上の欠陥でもある。
なぜなら、南西諸島という戦域で戦いながらも、他の2正面に対してもオールジャパンの警戒や対処、戦力配分、米軍などのトップレベルの調整が必要だからである。
現状は、統合幕僚長が、いわゆる政治の補佐(軍政)と部隊運用の補佐(軍令)の両方を1人で担っているが、すべてを長時間担わせるのは無理があろう。ましてや、有事においては、長時間、連続して変化する厳しい状況の中で、正しい判断をしなければならない。
このような場合、統合幕僚長は、大きな政治的判断の補佐に、かなりのエネルギーを割かれるだろう。このため、軍令の主たる執行者として、例えば、今回の震災のような場合は陸上幕僚長を、有事においては、海上幕僚長または航空幕僚長を統合指揮官とするよう、事態に応じて指定するのが合理的だろう。
この際、幕僚組織を2つ作ることは不経済であることから、長期運用にも耐えられることも念頭に、現在の統幕運用部を増強・拡充することが合理的である。今止まっている防衛省改革を速やかに進めることが肝要である。
●統合運用の命は兵站と輸送と通信である
今回は、どちらかと言うと陸上主体の輸送であったように思う。しかし、南西諸島に目を移すと、その輸送は海上・空中であり、通信も脆弱である。その中でも、海上輸送は極めて重要であり、フェリー会社も含め、非常時には官民一体となった統合輸送体制が必要である。
高速道路の無料化議論ばかりが目立つが、実はHSV(高速輸送艦)を含む高速大量輸送こそ戦力や国民の輸送のために必須のものであり、このためにも民間輸送会社の手厚い保護は国の優先事項である。
この際、船員に予備自衛官を採用し、民間人が入れない戦場地域でも投入できるようにしておく必要がある。米軍は、官民一体となったTRANSCOM(輸送コマンド)という組織を持っていて、非常時には一元指揮ができるようになっている。
自衛隊の受け皿は、陸海空の輸送組織と装備を統合した「兵站・輸送コマンド(仮称)」であるべきだろう。この際、非常時における罰則を伴った権限の付与に踏み込むのは当然である。
通信も、地上のインフラが破壊されても維持されるよう、即応小型衛星(戦闘機からも打ち上げられる小型の衛星)を保持しておくべきである。また、陸自が長期滞在型の無人機などを揃え、平時から陸海空の警戒監視を常態化し、日頃から統合で情報を集約し、共有しておくのも喫緊の課題である。
これらは、今の自衛隊の予算の中でのやりくりでは不可能であり、国家プロジェクトとして考えなければならない。
●自衛隊のハードとソフトの整備を急げ
海上・航空自衛隊の防衛力整備の方向は、動的防衛力としてその延長線上にある。しかし、数的にはあまりにも少なく、量的拡大は必須である。ミサイル防衛においては、多数の短距離ミサイル等対処を考慮すると、根本的に考え方を再構築する必要があるだろう。
一方、陸上自衛隊は、量的拡大のみならず、組織や装備を含めて再検討されるべきだろう。
量的な問題は、深刻である。今回の震災で5個師団、4個旅団の約7万人を投入しても3県の沿岸部に展開してもう交代の予備もない状況である。翻って、南西諸島の島は小さいと思われているかもしれないが、決してそうではない。
例えば、第2次世界大戦において、サイパン島では、日米合わせて約10万人(戦車約160両)が戦ったが、宮古島は、その1.3倍、石垣島は、その1.8倍の大きさがある。
単純に人数だけの比較にはならないだろうが、この陸上自衛隊の人数で、しかも、多数の島嶼を擁する南西諸島を守り抜けるだろうか。緊要な数箇所に穴が開いただけで、南西諸島の日米の作戦は極めて困難になるだろう。
ましてや国土防衛は防勢であり、通常、防御は、攻撃側の3倍は必要と言われる。しかし、人だけいても守れない。やはり経済効果も考えながら、工夫した装備が必要である。
大前提として、南西諸島の作戦では、たとえ少数でも優秀な装備を持った部隊が、空中・海上での高速輸送で早く戦場に到着できなければならない。それも、最初に主導権を持っているのは相手側だろう。
一部で言われている陸自の特殊な「海兵隊化」ではなく、米軍の情報化されたライトアーマー部隊であるストライカー部隊のように「陸軍の高速化」こそが本命である。これが、陸の動的防衛力の原点である。
併せて「弾」の改良も必要である。もっと言えば、高速輸送艦(HSV)ですら統合装備としながらも、陸自が自前で保有すべきであろう。国民保護を主体的に持っている陸自の役割でもあるし、災害派遣にも有効だ。
組織において、決定的に問題なのは、運用上、陸戦力を統括する、いわゆる陸上総隊司令部がないことである。
今回の震災においても海空はそれぞれ自衛隊艦隊司令部、航空総隊司令部が活躍し、これが、東北の震災に対処しつつ、戦力を配分し、オールジャパンの警戒及び不測事態対処に備えていた。
今回の震災に対しても、陸上も北海道、九州・沖縄には不測事態の考慮は為されたようだが、しかし、組織として、海空とオールジャパンのレベルで調整することが大切である。有事の場合も陸海空に揃って総隊機能があれば、それだけで統合運用は画期的に改善するだろう。
海空が一元指揮されているのに、陸だけが5つの方面隊に、ばらばらに命令を出すのでは、あまりにも非効率である。
また、これからは米軍と一体となった統合運用の時代であり、日米共同の統合演習の比重が高まることからも、陸自の総隊の役割は大きく、もはや方面隊レベルの話ではない。
方面隊も、今回の震災において、東北方面隊を統合運用と日米共同ができるように増強したが、むしろ、統合運用と日米共同ができる姿こそ常態化すべきであり、改革の方向を示していると言えよう。
おわりに
さて、日本はどうする。安心と安全のキャッチフレーズの前提である防衛を、与野党を問わずないがしろにしている現状を、日本国民はよしとするのだろうか。財政再建で防衛費も聖域とせず削減し続けた罪は大きい。
また、大震災を目の当たりにして、防災の欠如は議論になるものの、防衛費が相変わらず下がることを前提としていていいのだろうか。当面の対処と将来の備えという複眼的視点に立つべきだ。
皆さんに防衛の根幹の覚悟を問いたい。核抑止とは、相手が撃ったら必ず撃ち返して同等の被害を与えることによって、相互に抑止する、いわゆる刺し違えが前提である。
米国の核抑止を信頼したとしても、確実に相手の行動を抑制したり、止めるためには、自らの力による刺し違えの原則は捨てられない。それは相手の意思に歯止めをかけるということだ。
どうしても核兵器の議論をやらないと言うなら、例えば、米軍が使ったトマホークミサイルのような巡航ミサイルを保持し、九州から与那国まで約1500キロを横から援護するとして、いざとなったらこれを使って、完全ではないが中国と刺し違えすることを許容するだろうか。
残念ながら中国が核兵器を持っている以上、日本は滅び去るかもしれないが、中国も長く立ち上がらせないようにすることはできる。
韓国も、北朝鮮がいつでもソウルを攻撃できるのと同じように、今年初めにピョンヤンが射程に入るミサイルを配置した。抑止の覚悟とはそういうものだ。
軍事力は、使ったら相互にとって極めて不幸な結果しかもたらさない。戦いの極意は、相手を完膚なきまで殲滅することではなく、相手の指揮官の意思に打撃を与えて戦いを断念させることである。
こんなことすら議論ができないようでは、危機に毅然と立ち向かい、国民を守り抜く国家とは言えまい。
筆者は、やたらと危機感を煽り、紛争へ向かうことを願ってはいない。しかし、軍事の専門家として警告しておくが、生存のための国土防衛を、非戦や不戦と同列に語るのは誤りだ。また、日本には、日米同盟があり、防衛力も十分あるというのは本当なのかと疑問に思う。
同盟には、決意と、決意に基づく実行がなければならない。米国の日本に対する駐留の意味が、中国や北朝鮮に対するものに完全にシフトしている意義を、政治家も国民も共有していない。
対中、対米政策を争点に選挙をやってみたらいい。かならず既存の政党は2つに割れるだろう。その結果、片方は真っ当な政党が生まれる。日米一体となった国防を基本に据え、国土の防災のソフトとハードを備え、バラまきではなく将来の成長産業に投資し、頑張る者が報われることに立ち返った健全な政党であれば、最初は野党でも構わない。
そんな日本に立ち返らなければこの国の将来はないだろう。
経済は防衛の後ろ盾があって初めて安泰である。ましてや、中国に短期の利益獲得のためだけで、技術も会社も日本人の魂も丸投げしてしまうような経済人は、国益に反している。
中には、米国がだめなら中国の庇護の中で経済的な利益を上げればいいと思っている人もいるだろう。しかし、そう世の中は甘くはない。日中同盟の兆候が見えたら、米国は直ちに米中同盟を結ぶだろう。
日中の争いごとの本質を解決しないで、蓋をするような戦略的互恵というのは、中国の長期的な攻勢に白旗を揚げているのと同じことである。
観光や民間レベルの友好だけでは、中国の国家意思は揺るがない。ここ10年から20年が日本にとって正念場であろう。
日米が一体となって中国の理不尽な攻勢と、北朝鮮の暴発を断念させるためには、今の日本の「防衛力という堤防」の高さも質も全く不十分である。また、今回の震災対応のように民間の力と一体となり、国民と共に戦わずして国土防衛は絶対成り立たない。
まず短期的な視点だけで考えることをやめ、安心・安全の根幹にある防衛力をまず立て直すことが、実は緊急の課題である。エネルギー戦略も安全保障の観点を外しては成り立たない。
我々の文化も自由も、空気のように在るのではなく、守られているということを実感すべきではないだろうか。魂を失い、国防を蔑ろにした国家は、歴史からやがて消えていく。かつて海洋国家であったカルタゴは、ローマに完膚なきまでに殲滅された。
ローマがカルタゴに突きつけた最後通牒の内容は、海岸を捨て内陸のみで生存を許すというものであった。カルタゴは自らの生き様を否定する最後通牒に決然と反旗を翻し、3年篭城して戦った後、都市ごと全滅をしたのである。
しかし、滅びたが名は残った。今の日本は国家存亡の時にあって目覚めなければ、歴史に名も残らない。それどころか蔑まれることになるかもしれないだろう。それでいいのか日本!