無数にいた被災地の「英雄」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【土・日曜日に書く】論説委員・鳥海美朗




スペインのフェリペ皇太子が、原発事故に立ち向かった「福島の英雄たち」を称(たた)えるスピーチの英訳文を読み返した。

 「日本社会全体が見せた、冷静で自己犠牲的な対応にも光を当てたい。『福島の英雄たち』は、その勇気と寛大さで、社会奉仕や他人のために自分の命さえもなげうつ行いへと私たちを駆り立てる無私の精神の象徴です」

 「人類への貢献」を顕彰するスペインの「アストゥリアス皇太子賞」8部門のうちの「共存共栄」部門で、今年は「福島の英雄たち」が選ばれた。10月21日、同国北部のオビエドで行われた授賞式が東日本大震災後の日本人の鬱屈を一掃してくれたように思う。

 ◆言い換えたスピーチ

 授賞式に出席した5人を紹介する。ただし、「福島の英雄たち」は特定の人物を指してはいない。5人はあくまで代表である。

 陸上自衛隊中央即応集団・中央特殊武器防護隊長、岩熊真司1等陸佐(50)▽陸自第1ヘリコプター団第104飛行隊長、加藤憲司2等陸佐(39)▽警視庁警備部警備2課管理官、大井川典次警視(56)▽福島県警双葉警察署長(事故当時)、渡辺正巳警視(57)▽東京消防庁ハイパーレスキュー隊、冨岡豊彦消防司令(48)。

 受賞の答礼スピーチを担った冨岡さんは、こう締めくくろうと考えていた。

 「賞はわれわれだけではなく、今も事故現場で奮闘するすべての人々に与えられたものです」

 実際には「『英雄』の称号はわれわれだけではなく、すべての日本人に与えられたものだ」と言い換えた。直前に他の4人と話し合っているうち、「それが皆の一致した考えだと確信した」からだ。

 事故現場を振り返り、冨岡さんは「子供たちに日本の未来を残したい一心だった」と話す。

 ◆総動員の放水作業

 3月11日の東京電力福島第1原発の事故で、まず死活的に重要だったのは原子炉の冷却である。稼働していた原発1~3号機は全電源を喪失して冷却水の供給が止まり、各原子炉が「空だき」状態になったためだ。

 1号機で水素爆発が起きた。放置すれば、放射能が拡散する。それを食い止めようと、自衛隊、消防、警察の放水機能が総動員されたのである。

 核・生物・化学兵器に汚染された地域の偵察や除染を専門とする大宮駐屯地(さいたま市)の中央特殊武器防護隊(CNBC)は3月14日午前、岩熊隊長が自ら第1原発に入った。その直後、水素爆発で今度は3号機建屋の上部が吹っ飛び、コンクリート片が岩熊さんの指揮車を直撃した。隊員4人が肩や背中を負傷し、うち1人は放射線医学総合研究所(千葉市)に搬送されている。

 こうした苦闘があって、加藤さんが指揮する飛行隊のヘリが強風の中、3号機への海水投下を敢行し(3月17日)、CNBCも地上での放水を増強する。冨岡さん率いる東京消防庁ハイパーレスキュー隊の屈折放水塔車も7時間以上の連続放水を行った(19日)。原子炉の「冷温停止」を目指す局面打開を象徴する出来事だった。

 避難住民や隊員の除染作業を指揮する重要な任務のため8月1日まで福島にとどまった岩熊さんが、原発事故への対応の要諦を簡潔に語る。

 「より放射線量の少ない地点を探し、いかに人員・機材を投入するかに成否がかかる」

 ◆かけがえのない国民性

 2人の体験を聞き、かけがえのない日本人の国民性を改めて思う。「英雄たち」が被災地のあちこちにいたはず、という岩熊さんの指摘にはハッとさせられた。

 例えば、宮城県南三陸町職員の遠藤未希さん(24)は海沿いの防災対策庁舎で、津波到達の直前まで防災無線のマイクを握り、「早く高台に避難してください」と呼びかけ続けた。自身は津波にのまれ、命を失った。

 警察官では岩手県警11人、宮城県警14人、そして福島県警の5人が住民の避難誘導中に犠牲となり、消防団員の死亡・行方不明者は3県で計253人にのぼる。

 アストゥリアス皇太子賞財団は授賞理由で、事故現場の東電職員らについて「過重な交代勤務や食料不足などに耐えて作業を続けた」と踏み込んで言及している。

 東電によると、事故発生後、福島第1原発には約70人の東電社員がとどまり、暗闇の中で中央制御室の計器類の復旧作業や注水ホースの敷設を続けた。高い放射線量の中での作業だった。

 東電が原発事故の当事者である点から言えば、当然の義務である。だが、現場の労苦は企業責任とは別に評価していい。

 復興へ。名も無き「英雄たち」を記憶にとどめたい。(とりうみ よしろう)