【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博
反格差社会の巨大デモが起きた米国ニューヨークで、次にウォール街が占拠されるのは11月5日だという。デモ参加者のお気に入りは、「1%の富裕層と99%の普通の人々の対立」というスローガンだ。
何やら、マルクスの『共産党宣言』がいう少数の金持ちに対する大多数のプロレタリア階級の戦いのようだ。宣言の結語は「万国の労働者よ団結せよ」である。いまや、マルクスが“再臨”して「ウォール街を占拠せよ」と呼びかけている。
『共産党宣言』がロンドンで公刊されたのは1848年2月末であった。ところが、米誌が示唆する11月5日は、17世紀に英国で起きた国王爆殺未遂事件のXデーにあたる。英国では、首謀者の名前をとって「ガイ・フォークスの日」の祭りとしていまに伝わる。
いつぞやの映画でも、主人公のテロリスト「V」が不気味なフォークスの仮面をかぶっていた。先のニューヨーク・デモの際もこの仮面姿が目につき、古きマルクスより2006年公開の映画の影響の方が強いのかもしれない。
デモ隊のウォール街占拠に喜んだのは、「アラブの春」の波及におびえる権威主義の国々だ。中国の知識人たちは「民主革命が世界に拡大した歴史的な兆候だ」と喜びをかみ殺していた。イランのハメネイ師も「やがて西側の資本主義を倒すだろう」と拍手喝采だった。
しかし、彼らもそう喜んではいられない。資産100万ドル以上の富裕層は米国が1位で中国は4位だが、中国は上位0・4%の人々が富の70%を占めていた。とたんに憤怒と嫉妬が渦巻いた。河北省で起きた抗議行動が「全世界の無産階級よ、団結して立ち上がれ」と訴えていたのもうなずける。
マルクスの亡霊も、天安門上で呆延(ぼうぜん)と共産党独裁のいまを見ていよう。だから、Xデーを恐れているのは、ワシントンではなく北京の方なのだ。
それにしても、ウォール街占拠はどこに向かうのだろう。デモは反企業団体が呼びかけ、環境保護団体、ハッカー集団、労働組合までが参入した。当然ながら、訴えはバラバラになる。むしろ、社会に蔓延(まんえん)するイライラがひとかたまりとなって、ただ漂流しているのではないか。
冷戦の終わりに歴史家のアーサー・シュレジンガーは、「歴史の歩みが止まったわけではない。ひとつの憎悪が次の憎悪に道を譲っただけである」と述べた。それは民族的な憎しみの時代の到来であり、そこに経済格差への呪いが加わった。
だが、米国史にはサイクルがあり、幾つもの危機とその克服が繰り返されてきた。日本軍の真珠湾攻撃やソ連の人工衛星によるスプートニク・ショックがそうだった。
ワシントンに赴任した1989年も、それまでの20年間に米国民の実質賃金は減り続け、中間所得層のローン返済が滞っていた。米国が世界最大の債務国に転落して以来、米誌は「アメリカン・ドリームの終わり」を特集し、いまのような米国衰退論が花盛りだった。それにも米国人はすさまじい反転力を示した。
いまもなお、技術力も国内総生産も軍事力も世界一である。基礎体力が不十分なまま高速回転している日本や中国とは違う。いま、オバマ大統領がいうべきは「米国の労働者よ団結せよ」ではないのか。