国の実相を誇らしく感じました。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








皇后さま77歳お誕生日

宮内記者会の質問とご回答全文(上)




問1 今年は3月に東日本大震災、福島第一原発事故が起き、9月には台風災害として平成に入り最悪となった台風12号による豪雨被害にも見舞われました。一方、女子サッカーの「なでしこジャパン」がワールドカップ優勝の快挙を成し遂げるなど、震災後の日本を勇気づける明るい出来事もありました。この1年を振り返ってのご感想をお聞かせください。特に、甚大な被害をもたらした今回の大震災をどう受け止め、天皇陛下とともに慰問された被災地ではどんなことをお感じになりましたか。震災当日の天皇、皇后両陛下のご様子もお聞かせください。

(ご回答)

 今年は日本の各地が大きな災害に襲われた、悲しみの多い年でした。三月十一日には、東日本で津波を伴う大地震があり、東北、とりわけ岩手、宮城、福島の三県が甚大な被害を蒙りました。就中(なかんずく)福島県においては、この震災に福島第一原発の事故が加わり、放射性物質の流出は周辺の海や地域を汚染し、影響下に暮らす人々の生活を大きく揺るがせました。大震災の翌日である三月十二日には、長野県栄村でもほぼ東北と同規模の地震があり、これに先立つ二月二十二日には、ニュージーランドにおいても、地震により、多くの若い同胞の生命が失われました。

豪雨による災害も大きく、七月には新潟、福島の両県が、九月の台風十二号では、和歌山、奈良の両県が被災しました。災害に関する用語、津波てんでんこ、炉心溶融、シーベルト、冷温停止、深層崩壊等、今年ほど耳慣れぬ語彙が、私どもの日常に入って来た年も少なかったのではないでしょうか。

 二万人近い無辜の人々が悲しい犠牲となった東北の各地では、今も四千人近い人々の行方が分かりません。家を失い、或いは放射能の害を避けて、大勢の人々が慣れぬ土地で避難生活を送っています。犠牲者の遺族、被災者の一人一人が、どんなに深い悲しみを負い、多くを忍んで日々を過ごしているかを思い、犠牲者の冥福を祈り、又、厳しい日々を生き抜いている人々、別(わ)けても生活の激変に耐え、一生懸命に生きている子どもたちが、一日も早く日常を取り戻せるよう、平穏な日々の再来を祈っています。

 この度の大震災をどのように受けとめたか、との質問ですが、こうした不条理は決してたやすく受け止められるものではなく、当初は、ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした。東北三県のお見舞いに陛下とご一緒にまいりました時にも、このような自分に、果たして人々を見舞うことが出来るのか、不安でなりませんでした。しかし陛下があの場合、苦しむ人々の傍に行き、その人々と共にあることを御自身の役割とお考えでいらっしゃることが分かっておりましたので、お伴をすることに躊躇はありませんでした。

災害発生直後、一時味わった深い絶望感から、少しずつでも私を立ち直らせたものがあったとすれば、それはあの日以来、次第に誰の目にも見えて来た、人々の健気で沈着な振る舞いでした。非常時にあたり、あのように多くの日本人が、皆静かに現実を受けとめ、助け合い、譲り合いつつ、事態に対処したと知ったことは、私にとり何にも勝る慰めとなり、気持ちの支えとなりました。被災地の人々の気丈な姿も、私を勇気づけてくれました。三月の二十日頃でしたか、朝六時のニュースに郵便屋さんが映っており、まばらに人が出ている道で、一人一人宛名の人を確かめては、言葉をかけ、手紙を配っていました。「自分が動き始めたことで、少しでも人々が安心してくれている。よい仕事についた。」と笑顔で話しており、この時ふと、復興が始まっている、と感じました。

 この時期、自分の持ち場で精一杯自分を役立てようとしている人、仮に被災現場と離れた所にいても、その場その場で自分の務めを心をこめて果たすことで、被災者との連帯を感じていたと思われる人々が実に多くあり、こうした目に見えぬ絆が人々を結び、社会を支えている私たちの国の実相を、誇らしく感じました。災害時における救援を始め、あらゆる支援に当たられた内外の人々、厳しい環境下、原発の現場で働かれる作業員を始めとし、今も様々な形で被災地の復旧、復興に力を尽くしておられる人々に深く感謝いたします。

この度の災害は、東北という地方につき、私どもに様々なことを教え、また、考えさせました。東北の抱える困難と共に、この地域がこれまで果たしてきた役割の大きさにも目を向けさせられました。この地で長く子どもたちに防災教育をほどこして来られた教育者、指導者のあったことも、しっかりと記憶にとどめたいと思います。今後この地域が真によい復興をとげる日まで、陛下のお言葉のように、この地に長く心を寄せ、その道のりを見守っていきたいと願っています。

 (震災の日の陛下と私の様子をとのことですが、事後の報道にあったことに、特に加えることはありません。)

 この一年の世界の出来事で、特に印象に残るものとして、チュニジアのデモに端を発し、エジプト、リビア始めアラブ世界の各国に波及した「アラブの春」の動きがありました。なお、案じられることとして、タイをはじめ近隣の国々で今も続いている豪雨災害があります。

 九月、日本とのつながりの深いケニアのマータイさんがなくなりました。丁度日本訪問の思い出をつづったお便りと共に、長く関わってこられた植樹活動のDVDが手許に届けられた直後の訃報でした。そして,十月には、「アラブの春」よりも早く、非暴力をもって独裁に対し、人権や平和のための活動を続けてきたアフリカ、中近東の三人の女性に、ノーベル平和賞の授与が発表されました。

恵まれぬ環境下で、長く努力を重ねてきた女子サッカーチーム「なでしこ」のワールドカップ優勝、美しい演技で知られる日本体操チームの世界選手権での活躍、魁皇関の立派な記録達成等、今年のスポーツ界には、うれしいニュースが続きました。園遊会に出席の佐々木監督と澤選手は、あの日どんなに大勢の人から喜びの言葉をかけられたことでしょう。大きな魁皇関は,芝生の斜面に笑顔でゆったりと立っておられました。

 この一年間にも各界は何人もの大切な方たちを失いました。このうち五月に亡くなった坊城俊周さんは、戦後間もなくより、兄上の俊民氏と共に、宮中の歌会始の諸役となられ、以来、長くこの務めに献身して下さいました。平和な今日と異なり、戦後の混乱期に、若い人々の手で伝統の行事を守り続けることには、想像を超えるご苦労があったと思われます。七月に亡くなられた冷泉布美子さんも又、戦中戦後を通し、長い歴史をもつ時雨亭文庫を守られ、冷泉家に伝わるさまざまな年中行事も、これをつぶさに今日に伝えられました。京都のお宅で、美しい七夕のお飾りを見せて頂いた日のことを懐かしく思い出します。




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