止まらぬ沖縄県教委の暴走。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【安藤慶太が斬る】八重山教科書問題が教えることとは




沖縄県石垣市と竹富町、与那国町からなる八重山採択地区協議会で育鵬社の公民教科書が採択されながら、竹富町が不採択として違法状態が続いている問題は依然膠着(こうちゃく)状態が続いている。この間、一番あきれたのは沖縄県教委の対応だった。政府の法解釈に従わず県議会でもおかしな答弁をしている。実質的な指導は何もない。明らかに恣意(しい)的な行政としか思えないのである。

 「(9月)8日の採択決議こそが沖縄県としては有効だ」

 これが県教委トップによる答弁だが、若干経緯を補足する。育鵬社を協議会で選び、石垣市と与那国町が各教委に持ち帰って採択をした。にも関わらず、竹富町は協議会の決定に従わず、別の教科書を採択した。これが事の発端である。

 採択地区は同じ教科書を使わねばならない。そのことは教科書無償措置法に定められていて、その規定に基づいて協議会が設置、選定作業をしていたのだが、竹富町の「反旗」で無償措置法に抵触する状況が生まれた。それで、県教委は指導に乗り出すのだが、県教委が収拾策として持ち出したのは3市町教委の教育委員全員による珍妙な話し合いだった。それが9月8日というわけだ。


すでに決着した法的評価


 ちなみに与那国町教委3人の教育委員の育鵬社への賛否は2対1。石垣市教委5人の教育委員の賛否は3対2だ。竹富町教委は0対5。従って3教委が教委の意思を持ち寄って判断すれば育鵬社が採択されるが、教育委員全員で採決すれば育鵬社採択は覆るーという計算だ。そんな露骨で底意が透けて見える横暴を石垣、与那国とも容認できるはずはない。だが、県教委は9月8日の3市町教育委員全員による協議を提案、強行した。冒頭のせりふは県教委トップの大城浩教育長が9月28日の県議会で、協議の場の法的有効性を強調した場面である。

 もっともいくら沖縄県教委がそう強調してもこの協議の場に関する法的評価はすでに決着している。それは、はじめの協議会には法的瑕疵(かし)がなく有効であるが、9月8日の協議の場は無効だというものだ。これが文部科学省はもちろん、日本政府の正式見解である。

 県教委のいう協議の場が無償措置法13条4項の規定に基づく、協議の場として正当性をもつためには、石垣、与那国、竹富の3教委が9月8日の協議を法律に基づく協議の場とすることに合意しなければならない。


ダメなものはダメ


 ところが、そういう合意などないのである。何せ、協議の場の議事録をみると、出席した教育委員全員の多数決に強引に諮り「合意はあった」としたからである。横暴極まれりである。

必要な合意というのはあくまで当事者である3教委の意思で合意しなければならない。教育委員全員の多数決で「合意しました」とやってもダメである。石垣と与那国の教委としての意思表示としては「無効だ」と言っている。当事者でもない県教委がいくら合意があるといい張ってもやはりダメなものはダメである。

 しかし、沖縄県教委の暴走は止まらない。メンツなのか、育鵬社不採択運動を繰り広げる運動団体への気兼ねなのかはわからないが、沖縄県教委は自分たちの指導のおかしさ、至らない点を正すどころか、ますますおかしな対応を始めるのである。

 私自身、今まで都道府県教委のダメぶりはいろいろ見てきた。が、今回の沖縄県教委の対応は私が見る限り、史上最低最悪である。


恐ろしいほどの頼りなさ


 例えば三重県教委もまるでダメな教育委員会の典型だった、と思う。学校現場での破り年休や鉛筆年休が発覚、公金支出が問題になった時も腰を据えて正すことはできなかった。

広島県教委も問題だらけだった。国旗国歌正常化の動きを長年にわたってきちんと正すことなく放置してきたからだ。北海道や山梨県もそうだった。どこまで行っても組合との癒着構造を断てずにいて、現場の校長を見殺しにしてしまう。今、北海道教委は頑張って、北教組との癒着を断とうと努力はしているのだが、常に組合は既得権維持を図ろうと持ちかけ、それに手を打つ教委幹部が現れる。恐ろしいほど頼りないのである。


国の法解釈を否定するひどさ


 兵庫県や福岡県、大分県などこれまであちこちの教育委員会を見ていて「これで地方分権などやったら大変なことになってしまう」という懸念を抱いた。また都道府県教委への唾棄する思いを何度も味わった。

 都道府県教委自体が教育をダメにしているのは何も沖縄県だけの話ではない。ただ今まで例示した「ダメな教委」への思いというのは、基本的に頼りないことに原因があって、教育行政をつかさどる機関として「もっとしっかりしてくださいよ」という気分だった。一応、何が正しくて、何が間違っているのか、ということを教委としては理解はしている。だが、沖縄県教委の今回の対応は他の教委とは少し様相が異なる。もはや教育行政をつかさどる機関としての限界を超えていると思えてならないのだ。自分たちの見解が正しく、国の法律解釈まで否定しているのだ。

大体、政府の法令解釈は思いつきで出てきた類ではない。閣議決定された政府見解である。閣議決定された見解が覆った前例は皆無に近い。それだけ、法制上の検証が事前になされるのであって、県教委の教育長はそうしたことをしっかり認識して発言しているのだろうか。沖縄独自で法令解釈があるかのような答弁自体、不可解だ。政府見解と真っ向から異なる法令解釈を議会で開陳した以上、もう後戻りはできない話だ。間違いが確定した時点で本来なら責任が問われるべき話だ。


形振り構わぬ採択介入


 行政機関として非常につたない気がしてならないが、県議会も沖縄のメディアもそういう大切な点から目を背けている。

 今回の採択で見えてきたのは都道府県教委が裏で市町村教委を誘導したり、妨害しながら育鵬社の教科書を遠ざけようとしている姿である。これは育鵬社を採択すると、左翼が騒ぎ出すから、左翼が騒げば、仕事が増え、収拾が大変である、だから事無かれ主義に基づき、無難な教科書を選ぶのだとそう思っていた。

 しかし、八重山採択地区に対する県教委の行動を見ていると、これほど形振り構わないものかと思い知らされた。またこうした採択介入が県教委の主体的な意思でむしろ積極的に遠ざけている気がしてならなかった。

 そしてもうひとつ。採択をめぐっては教職員の意見や県教委事務局の意思を反映した採択にすべく、さまざまな仕掛けがあることも同時に考えさせられた。国の指導というものがいかに頼りないものか、地方はすでにそういう文科省の指導力の欠如を見抜いている。正常化に向けた文科省の指導を頭から聞き入れずに足元を見ているのだ。地域主権などといった言葉を不用意に振りかざす民主党の無責任で、どれほど教育に禍根がもたらされるか。真剣に憂慮する次第だ。

(安藤慶太 社会部編集委員)