凛とした「視力を超えた視力」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【消えた偉人・物語】塙保己一




「私は小さい時、母は塙先生のことを繰り返し話してくれました。『ヘレン、日本には、幼い時に失明し、しかも点字も何もない時代に、努力して学問を積み一流の学者になった塙保己一という人がいたのですよ』と。時には挫(くじ)けそうになったこともありましたが私は、塙先生を目標に今日まで頑張ってきました」

 これは、昭和12年4月、塙保己一を顕彰する温故学会を訪れたヘレン・ケラーの言葉である。

 塙保己一(1746~1821年)は、武州児玉郡木野村(現在の埼玉県本庄市)に生まれた。7歳で失明するが、驚異的な記憶力で数万冊の古文献を暗記し、原本・写本の綿密な吟味、校訂を続け、40年以上かけて『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』を完成させた。『群書類従』は、法律、政治、経済、医学などあらゆる分野の貴重な資料を収め、収録文献は1277種を数える。総冊数666冊に及ぶ編集に要した版木は実に1万7244枚となるが、両面刻のため、約3万4千ページ分となる。

 明治・大正期の国定国語教科書には、保己一の次のようなエピソードが紹介されている。

《ある晩のこと、保己一は弟子たちを集めて、いつものように講義をしていました。その時、吹いてきた風にローソクの火が突然消えてしまいました。それとは気づかず、保己一はそのまま講義を続けていました。暗闇の中で弟子たちは慌ててこう言いました。「先生、風でローソクの火が消えてしまいました。すぐ火をつけますので、しばらくお待ちください」。これを聞いた保己一は、「目が見えるということは不便なものだね」と笑顔でいいました。》

 自らの境遇を微塵(みじん)も卑下することなく、むしろユーモアで受け流すこのエピソードにヘレン・ケラーも特にひかれた。保己一の凛(りん)とした生き方は、「障害は不自由でも、決して不幸ではない」というヘレン・ケラーの信念と見事に共鳴した。また、このエピソードには、物が見えるという慢心こそが最も危険である、という強いメッセージが込められている。これもまた、ヘレン・ケラーの「視力を超えた視力」に通じる。

 「番町に過ぎたるものは二つあり 佐野の桜に塙(花は)検校(けんぎょう)」

 保己一のありのままの飾らぬ生き方は、川柳や狂歌で詠まれるほどに人々に慕われ愛された。

                          (武蔵野大学教授 貝塚茂樹)




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          昭和12年4月、塙保己一を顕彰する温故学会を訪れたヘレン・ケラー