【今日の突破口】ジャーナリスト・東谷暁
萎縮する日本-それがいま進行中の現象だ。東日本大震災からの回復を試み、福島第1原発事故への対応を行い、世界経済の混乱に対処するために、日本は持てる力を振り絞らなくてはならないというのに、日本人は自らうずくまって、何もする気がないようにすら見える。
まず、大震災からの回復策として野田佳彦政権が提示しているのが、あきれたことに「増税」なのだ。野田首相は首相になる直前にある雑誌に、自らの政権構想を発表して3つの「危機」を並べたものだが、驚くべきことにそこに東北の危機はなかった。さすがに首相就任の際には復興を最初に掲げたが、そこで提示したのが経済抑圧策なのである。ご都合主義的にあれこれ言ってみても野田首相には危機意識がまるでない。このままでは日本経済がさらに縮小していくだけのことだろう。
また、野田政権は停止中の原発を来年夏までに再稼働したいと述べたが、マスコミ世論に遠慮してすぐに期限を取り消した。確かに、福島の事故を深刻に受け止めることは必要だが、問題を前にして困難なことから逃げ出すこととはまったく異なる。
事故以来、エネルギーなどいらないから原発は停止しろという論者が増えて、マスコミも煽(あお)りに煽っている。しかし、世界で福島の事故以降にイタリア、ドイツ、日本という第二次大戦の敗戦国以外、脱原発を政策で言い出した大国は見当たらない。単に日本は原子力をめぐる国際政治という厳しい現実から尻尾を巻いて遁走(とんそう)を始めたにすぎないのだ。
さらに、アメリカやEUが自ら招いた経済危機で景気が後退しているとき、日本はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)という、他国の雇用増加策を喜々として受け入れようとしている。財界は米韓FTA(自由貿易協定)が韓国の対米輸出を急伸させたからTPPで日本もそうしようといっているが、まだ、批准もされていない米韓FTAが輸出を伸ばせたわけがない。にもかかわらず、日本経済のデフレを加速する経済協定に唯々諾々として従おうというのである。経済戦略の感覚が麻痺(まひ)しているとしか言いようがない。
このところ、論壇の少なからざる人たちが、大震災と福島原発事故をきっかけに新しい時代に突入したと盛んに述べ立てている。しかし、その話を聞いてみるとほとんど例外なく、いまの文明が崩壊に向かっているから、現在の技術も経済も価値観も失効していくというのである。
そういえば思い当たるのは、東日本大震災が起こった直後、鬱状態に陥った知人が何人かいた。これは後で調べてみると、大災害のときにはしばしば起こる現象らしい。高級そうに見える文明転換論や異相社会論などというのも、日本人が今回の事態にショックを受け、萎縮し、うずくまり、麻痺し、現実から目をそむける鬱状態ではないのだろうか。
そこにあるのは偽の文明転換論であり、まがいものの終末論であり、勘違いの脱近代論にすぎない。世界は相変わらず技術文明のなかにどっぷりと漬かっており、跳梁(ちょうりょう)しているのは偽者の予言者ばかりで、近代経済システムは相変わらずきしみ続けて災厄をもたらしている。私たちに必要なのは、怪しげな予言をすることではなく、目の前の試練と闘うことである。
(ひがしたに さとし)