【正論】筑波大学大学院教授・古田博司
何をいつまで悲しむのか。
なでしこジャパンの佐々木則夫監督は、素の自分をさらけ出すこと、それでここまできたという。素の自分とはまじめであることに曇りがないということである。
≪悲しみ苦しみ続けてはならぬ≫
もちろん辛いことは限りない。被災地でいまだに父や母が見つからない。娘がもどらない。あのとき、あの場所にいなければ、息子は津波にのまれなかったかもしれない。悔いても悔やみきれない。だが、その悲しみに限りのない自分は、まじめな自分である。まじめすぎて自分を責めてしまう。
日本では神様までがまじめである。日本の神話では神様も悩む。あの世に逝った妻が幸せだろうかと、後を追う。あの世で娘の魂を離さない父の手から、苦難の末に、その娘をこの世に連れ帰る。
まじめは一番である。でも、神様のように苦しむことはない。たとえ姿は失われようと、夢の中で何度でも会うことができる。夢と現実は実用性が違うだけで同じだと言ったのは、哲学者のショーペンハウアーとマッハだった。こういう話は聞いてもよいと思う。
生きているのは苦しいことだけれど、死した人々が励ましてくれる。朝日を受けるたび、彼らのエネルギーがわれわれの体に降り注いでくる。それは神々と一緒なのだといってもよいではないか。
ばかばかしい、もっと悲しもうという市民派は、彼らだけで満ち足りた人々である。チャンネルを回せば、そんな人がキャスターとして毎日出てくる。彼らは、自分の論理だけが論理だと思っている人々、自分だけが正義だと思っている不まじめな人々である。正義を既得権益のように振りかざす者ほど胡散(うさん)臭い。正義は時代によっても違う。16世紀フランスで聖バーソロミューの大虐殺が起きた際にローマ教皇は祝砲を撃たせた。
≪われわれは試練を乗り越える≫
何を悩んでいるのか。
もう悩むことは何もない。われわれは試練を乗り越える。素の自分で死んだ仲間とともにまじめに生きればよい。市民派のきれい事の正義は終わった。まだ自分に正義があると思い込む彼らは、タバコ代を値上げしろとあがき、放射能が移ると嫌がって腕をさする。復興遅滞、政経不安で国民を苦しめ、朝鮮学校無償化をイタチよろしく最期に華々しく放った。彼らの世界を変えようとする意図はここまで卑俗に落ちたのである。
「市民」という言葉はとうに薄汚れてしまった。それに気づかせてくれたことは、鳩山由紀夫、菅直人両政権の成果だった。日本は日本人だけのものでないとうそぶき、子ども手当で外国人に十億円も垂れ流しした。マルクス・レーニン主義を奉じる主催者の市民団体に、専ら政党交付金が源とみられる莫大(ばくだい)な資金を環流させた。自衛隊を暴力装置と呼びつつ、逆に自分たちが階級支配の暴力装置となって国家を内側から破壊した。
彼らのいう「政治主導」とは独裁であり、独裁を「民主集中制」と偽ったレーニンと同様である。彼らは冷戦の落とし子、旧社会主義勢力の申し子である。米軍基地を追い払おうとし、国防を危うくした。社会主義国に内通し連帯して尖閣諸島沖漁船衝突事件のビデオを隠匿した。電力供給を様々(さまざま)な手段で阻害し、資本主義経済を弱め、多くの有力企業を海外に追いやり日本経済を空洞化させた。
某市民派新聞も同類である。原子力ムラは戦艦大和の最期、「企業の国際競争力維持」を盾に脱原発依存を牽制(けんせい)する経済人は「国体護持」を叫んで終戦に抵抗した軍人、被災地の光景は米軍空襲による焼け野原に見えると、反資本主義の意図を太平洋戦争の敗北になぞらえる社説を堂々と掲げた。
≪多くのこと教えてくれた失政≫
だが、時代は変わった。なぞらえるべき過去はもはや太平洋戦争ではない。冷戦こそが焦点を当てるべき歴史である。某市民派新聞のプロパガンダは冷戦時の反資本主義勢力のそれであり古くさい。彼らの描く風景は、民主党の失政が東大安田講堂攻防戦の最期、脱原発依存を叫び日本経済を弱体化させる市民たちは、「マルクス・レーニン主義」を奉じ資本主義の滅亡を願った自称革命家たち、焼け野原の光景は冷戦に敗れ荒廃した彼らの心象風景だと、そっくり言い返すことができるだろう。
何をいつまで悩み続けるのか。早く電力供給を回復させ、空洞化を防ぎ、まじめに働く人々に雇用をもたらさなければならない。
市民派は、バブル崩壊直後に就職氷河期にぶつかったポスト・バブル世代の低賃金労働者から、不公平をチャラにするため戦争をしようと提案されて大きな衝撃を受けた過去(赤木智弘著『若者を見殺しにする国-私を戦争に向かわせるものは何か-』)を忘れたのか。在日外国人が尊厳ある対等な立場に立てるように運動する前に貧困労働層の日本人男性をなぜもっと対等に扱ってくれないのか、彼はそう市民派に訴えていた。
まじめに生きようとしても生きられない、そんな社会を作ってはならない。市民派の失政はわれわれに多くのことを教えてくれた。
(ふるた ひろし)