「捕虜」とは何事か。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【外信コラム】赤の広場で




ロシアで仕事をしていて許せないことの一つは、第二次大戦後にシベリアなど旧ソ連各地に強制抑留された日本人をロシア人の多くが「抑留者」でなく「捕虜」と称することだ。一流大学を出た若手の日本専門家なども例外ではない。

 旧ソ連は終戦間際の1945年8月9日、日ソ中立条約を破って対日参戦し、15日の日本降伏後も一方的侵攻を続けた。さらに武装解除した日本の将兵ら60万人を満州や朝鮮、サハリン(樺太)などから連行して強制労働を課し、6万人以上の死者を出した。

 そもそもソ連の「対日戦争」自体が不当な一方的侵略だったのだから、「捕虜」の用語は全く不適切だ。強制抑留は、武装解除後の日本将兵を速やかに帰還させるとしたポツダム宣言に明白に違反する行為でもあった。

 「少なくとも関東軍の大半はソ連と全く交戦しておらず、『捕虜』は完全な誤りだ」。政府古文書委員会の副委員長も務めたプロコペンコ氏(78)はこう語り、「ロシア人は何十年にもわたるプロパガンダ(政治宣伝)からいまだに抜け出せていない」と断じる。

 だが、残念ながら、こうした良識派はまだまだ少ない。微力だろうが、今後も「捕虜」の用語を聞いたら逐一、徹底的に反論して訂正を求めていく所存だ。


                                     (遠藤良介)