【解答乱麻】教育評論家・石井昌浩
今年の夏に行われた教員免許更新講習について報告したい。2年前は、最初で最後の講習になるとの噂が流れるなど落ち着かない雰囲気の中でのスタートだったが、3回目となる今年は、制度が定着したという印象を受けた。私は道徳教育を担当し、教育勅語(ちょくご)・修身の中身を紹介しつつ、それが戦後教育思想に及ぼした影響に焦点を当てて論じた。
いまから120年前になるが、教育勅語が成立するまでの約10年間、道徳教育の基礎に儒教と西洋近代主義のどちらを優先させるかをめぐる徳育論争があり、結果として教育勅語が両者の折衷的なものに落ち着いたことはよく知られている。しかし、教育勅語の理念普及を図る目的の修身科国定教科書が、明治36年から昭和20年までの42年間に、1期から5期までに区分され、それぞれに異なる性格を帯びていたことはあまり知られていない。
明治36年から大正6年にかけての1期・2期は、教育勅語の浸透に重点が置かれ、明治初期以降の西欧的市民道徳と儒教道徳との折衷した内容だった。大正7年から昭和7年までの3期は、第一次世界大戦後の自由主義・平和主義の世界の潮流を受けた大正デモクラシー全盛の時代を反映していた。昭和8年から20年に至る4期・5期は、戦時体制が色濃くなり軍国主義礼賛に流された時期だった。
米国は日米開戦の翌昭和17(1942)年、日本占領を前提に教育政策立案を目的とする国定教科書の分析作業を開始。20年1月、国定教科書のすべての分析を完了していた。
日本を占領したGHQは、教育勅語については基本的に有害とは見なさず、本来の趣旨が軍国主義的解釈により迷路に入っていたとし、また修身については、相対的に無害であるが、4期・5期は国家主義へ傾斜しすぎていると結論づけていた。
そして修身は、昭和20年大晦日(おおみそか)、GHQの3教科(修身・日本歴史・地理)停止命令によりカリキュラムから消えた。教育勅語は、昭和22年に教育基本法が制定されて後も1年余り並立状態が続くが、23年6月の衆参両院の国会決議により違憲詔勅として排除され失効した。
その後、昭和33年に「道徳の時間」が特設されて以降も、道徳教育は強力な反対運動の勢いに押されてタブー視され続け、押しつけは教育になじまないという理由で形骸化されたまま現在に至っている。
かつて日本人は時代を超えて、助け合いの精神、誠実、我慢強さなどの、美徳とされるすぐれた国民性・わきまえを身に付けていた。敗戦によって歴史の断絶を余儀なくされ、心の座標軸を失った戦後社会は、古くから受け継いできたこれら日本人特有のたたずまいを、時代遅れのものとして切り捨てた。
戦後教育の中で、教育現場の主流を占め続けた「左派」は、国定教科書4期・5期の軍国主義的傾向をことさらに強調して修身科を全面否定し、戦前の70年余りを暗い時代として描いた。一方、教育現場における発言力を失った「右派」は、修身の復活を、現場と離れたところから声高に唱えるだけだった。
戦前の修身教育が、戦後教育思想に与えた影響を直視することの大切さと困難さを、今度の教員免許更新講習をきっかけに受講生と共有できたのは大きな収穫だった。
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【プロフィル】石井昌浩
いしい・まさひろ 都立教育研究所次長、国立市教育長など歴任。著書に『学校が泣いている』『丸投げされる学校』。