夕刻の備忘録 様のブログより。
自衛隊はその誕生以来、徹底的に貶められてきた。孤立した中で生まれ、孤立した中で育ってきた。彼等の戦う相手は外ではない、内にいた。マスコミである。自称「文化人」である。彼等は肉体以上に、その精神力を問われる日々が続いた。心の支えは何であったか。吉田茂の「防衛大学第一回卒業式」における訓辞、公的にはただそれだけであった。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」(昭和32年2月)
「反原発闘争」とやらで、またまたお決まりの連中が甦ってきた。被災地の人は知って欲しい。知らない人は調べて欲しい。原発の廃止を唱えようと、過去の政治を断罪しようと、そんなことは構わない。批判は当り前のことである。しかし、震災・原発対応でまさに獅子奮迅、自らの命を捨てて救難活動に当たった自衛隊を、その創設以来、極めて悪辣な手法で貶めてきた連中が、先日の「反原発デモ」の中心にいる。
「ここで十分に政治的な立場を意識してこれをいうのだが、ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」と大江健三郎はコラムに書いた。昭和33年の話である。
彼等は「反・原発」ために行動しいるのではない、「反・日本」のために行動しているのである。それだけが生き甲斐の屍どもである。必死の形相で、輝くばかりの笑顔で、被災地で多くの人達を助けた自衛隊員の姿と、あの薄れ汚れた風体と、どちらに人間の真実を感じるか。同じ反対運動をするにしても、その組織をよく見て選んで欲しい。
★ ★ ★ ★ ★
創設以来、苦難の道を歩んだ自衛隊。その「被害」は隊員達だけではない。その家族にまで及んだ。日教組は自衛隊、機動隊、警察官の子弟を徹底的にいじめ抜いた。子供達を指さし「この人のお父さんは人殺しです」と罵った。佐々淳行の著作にもある通りである。一人や二人の異常者がとった行動ではない。数多くの「同種の証言」がある。
野田佳彦は、先の代表選挙で「自分の両親の話」を、あたかも自分の話であるかのように、巧みに聞かせて評価を得た。その父親が自衛隊の精鋭であったことは広く知られている。野田は昭和32年生まれ、まさに自衛隊創設の年に生まれた。自衛隊が「同世代の恥辱」とまで罵られている時代に育ったのである。野田本人も「日教組教師の対応」に関して、「確かにそうした雰囲気はありました」として、「自衛官の子弟」がこうした扱いを受けたことを認めている。
そして、輿石東である。昭和11年生まれのこの男は、大江のコラムが世に出たちょうど同じ年に、教員生活を始めている。正確には、始めたのは教員生活ではなく、組合員活動である。5年後には山梨の学校に移り、以後山梨日教組のボスにまでのし上がる。
野田の少年時代、最も悪辣な差別を公然と行っていたのは日教組である。その時、輿石は「オマエの親は人殺しだ」と言い放った日教組の指導層にいたのである。
親の仇である。
全自衛隊員、機動隊、警察官の仇である。
そして、自分自身の仇でもある。
その仇と野田は手を握った。
本来なら、真一文字に切り裂いて当然の相手に、幹事長職を与えた。
政治家は、国家・国民のためとあらば、親の仇であろうと、家族を皆殺しにした相手であろうと、手を組み、笑顔で写真に収まるものである。それが政治家のあるべき姿である。だからこそ、誰にでも出来る仕事ではないのだ。タレント崩れや、自称専門家が軽い気持ちで成る職業ではないのだ。
しかし、野田の手打ちは国家のためか。これが国民のためか。全ては民主党のため、党内融和のためだけではないか。そんな下らない理由のために、悪魔と手を結ぶのか。他に上手くやる方法もあるだろうに、親の仇を「党ナンバー2」に据える必要があるのか。
国会審議を幾ら逃げ回っても無駄である。大臣の失言で支持率が下がることを恐れても、無意味である。むしろ、国会も開いていないのに、審議も始まっていないのに、随分と支持率は落ちているのだ。マスコミ捏造の分だけではない、本気で幾ばくかの期待をした人達をも既に落胆させているのだ。
それは偏に野田の人事の異常さから来ている。
その人間性を既に疑われているのである。
国会審議からの「逃亡」は、自ら「選挙管理内閣」であることを公言しているに等しい。これでは国内は言うに及ばず、国外からも信用されない。ましてや与党幹事長が、名誉ある国軍兵士を、その子弟を「人殺し」と罵ってきた組織の長であるのだから。「普通の国家」なら、これだけでも極刑は免れまい。そんな人間を多く抱えながらなお、「民主党が好きだ」「ノーサイドにしましょう」などと寝言をたれている総理を、一体どこの国が信頼するだろうか。
野田内閣の賞味期限は「未開封のまま」で過ぎてしまったのである。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」(昭和32年2月)
「反原発闘争」とやらで、またまたお決まりの連中が甦ってきた。被災地の人は知って欲しい。知らない人は調べて欲しい。原発の廃止を唱えようと、過去の政治を断罪しようと、そんなことは構わない。批判は当り前のことである。しかし、震災・原発対応でまさに獅子奮迅、自らの命を捨てて救難活動に当たった自衛隊を、その創設以来、極めて悪辣な手法で貶めてきた連中が、先日の「反原発デモ」の中心にいる。
「ここで十分に政治的な立場を意識してこれをいうのだが、ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」と大江健三郎はコラムに書いた。昭和33年の話である。
彼等は「反・原発」ために行動しいるのではない、「反・日本」のために行動しているのである。それだけが生き甲斐の屍どもである。必死の形相で、輝くばかりの笑顔で、被災地で多くの人達を助けた自衛隊員の姿と、あの薄れ汚れた風体と、どちらに人間の真実を感じるか。同じ反対運動をするにしても、その組織をよく見て選んで欲しい。
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創設以来、苦難の道を歩んだ自衛隊。その「被害」は隊員達だけではない。その家族にまで及んだ。日教組は自衛隊、機動隊、警察官の子弟を徹底的にいじめ抜いた。子供達を指さし「この人のお父さんは人殺しです」と罵った。佐々淳行の著作にもある通りである。一人や二人の異常者がとった行動ではない。数多くの「同種の証言」がある。
野田佳彦は、先の代表選挙で「自分の両親の話」を、あたかも自分の話であるかのように、巧みに聞かせて評価を得た。その父親が自衛隊の精鋭であったことは広く知られている。野田は昭和32年生まれ、まさに自衛隊創設の年に生まれた。自衛隊が「同世代の恥辱」とまで罵られている時代に育ったのである。野田本人も「日教組教師の対応」に関して、「確かにそうした雰囲気はありました」として、「自衛官の子弟」がこうした扱いを受けたことを認めている。
そして、輿石東である。昭和11年生まれのこの男は、大江のコラムが世に出たちょうど同じ年に、教員生活を始めている。正確には、始めたのは教員生活ではなく、組合員活動である。5年後には山梨の学校に移り、以後山梨日教組のボスにまでのし上がる。
野田の少年時代、最も悪辣な差別を公然と行っていたのは日教組である。その時、輿石は「オマエの親は人殺しだ」と言い放った日教組の指導層にいたのである。
親の仇である。
全自衛隊員、機動隊、警察官の仇である。
そして、自分自身の仇でもある。
その仇と野田は手を握った。
本来なら、真一文字に切り裂いて当然の相手に、幹事長職を与えた。
政治家は、国家・国民のためとあらば、親の仇であろうと、家族を皆殺しにした相手であろうと、手を組み、笑顔で写真に収まるものである。それが政治家のあるべき姿である。だからこそ、誰にでも出来る仕事ではないのだ。タレント崩れや、自称専門家が軽い気持ちで成る職業ではないのだ。
しかし、野田の手打ちは国家のためか。これが国民のためか。全ては民主党のため、党内融和のためだけではないか。そんな下らない理由のために、悪魔と手を結ぶのか。他に上手くやる方法もあるだろうに、親の仇を「党ナンバー2」に据える必要があるのか。
国会審議を幾ら逃げ回っても無駄である。大臣の失言で支持率が下がることを恐れても、無意味である。むしろ、国会も開いていないのに、審議も始まっていないのに、随分と支持率は落ちているのだ。マスコミ捏造の分だけではない、本気で幾ばくかの期待をした人達をも既に落胆させているのだ。
それは偏に野田の人事の異常さから来ている。
その人間性を既に疑われているのである。
国会審議からの「逃亡」は、自ら「選挙管理内閣」であることを公言しているに等しい。これでは国内は言うに及ばず、国外からも信用されない。ましてや与党幹事長が、名誉ある国軍兵士を、その子弟を「人殺し」と罵ってきた組織の長であるのだから。「普通の国家」なら、これだけでも極刑は免れまい。そんな人間を多く抱えながらなお、「民主党が好きだ」「ノーサイドにしましょう」などと寝言をたれている総理を、一体どこの国が信頼するだろうか。
野田内閣の賞味期限は「未開封のまま」で過ぎてしまったのである。