近頃は見かけなくなったが、昔はどこにでも野良犬がいた。やせ細って目つきの悪い犬がその辺をウロウロしていた。子供の頃、学校帰りにそんな野良犬に出くわすのは憂鬱だった。餌欲しさに牙を剥いて吠えるのだ。怖かった。
野良犬が群れをなしていると、まるで愚連隊みたいでもっと怖かった。ときどき保健所から犬殺しがやってきて、捕獲しては金網の籠に入れるのを見ると、ほっとした。捕まった犬がぎゃんぎゃん泣き喚く姿がちょぴり哀れだったけど、ざまあ見ろって気分だった。
犬の喧嘩もよく見た。一匹づつ向き合って決闘する犬もいれば、集団同士の抗争もあった。俺のスケ、いやメス犬に手を出しやがってコノヤローとか、テメエ、縄張りを侵す気か、コラッ、みたいな感じだった。犬の世界もいろいろ大変だなあと思ったものだ。
さて、犬の喧嘩を見て、果たして彼らに交戦権 があるのかと悩む人がいたら、かなりの間抜けだ。交戦権 もないのに戦うとはナニゴトだ、嗚呼、犬畜生は浅ましい、と嘆く人は救いようがない。さらに犬の愚連隊同士が喧嘩するのを見て、集団的自衛権 の有無が気になって仕方がない人は、早く病院に行くべきだ。頭に聴診器を当てられて、即座に大馬鹿だと診断されるだろう。
犬であれ人であれ、国であれ、喧嘩を吹っかけられて戦うのは自然な行為。殺される前に身を守る。やられたらやり返す。これは権利の行使でも何でもない。生き延びるために神様が与えた防衛本能だ。いざとなれば戦うのだ。
さらに仲間同士で徒党を組み、助け合うのも自然の摂理 だ。集団的自衛権 などと舌を噛みそうな言葉はいらない。仲良しが協力し合い、仲間がやられそうになったら馳せ参じるのは当たり前だ。助け合うときに逃げたら、仲間から総すかんを喰って孤独な負け犬になる。子供でも分かる。犬でも分かる理屈だ。
だけど、この理屈がわからない馬鹿がいて、憲法が交戦権 を認めていないなどと主張する。そんなくだらない憲法 なぞ破って捨てちまったらいい。憲法 をでっち上げた占領軍ごときに、お前だけは喧嘩しちゃいかん、そんなフザケタことを云われてたまるか。
憲法 9条とやらを振りかざして、交戦権 がない、集団的自衛権 も認めない、と声高に叫ぶ左翼は変態だ。学生運動華やかなりし頃、機動隊を見ては、国家の犬めなんて蔑んでいた連中だ。何を云いやがる。敵国を利するテメエたちこそ、犬畜生以下じゃないか。こういう連中は犬殺しに捕獲されてしまえばいいのにと思う。