【探訪 防人の風景2011】島根県・隠岐諸島
色づき、刈り入れを待つばかりの稲穂、奥には青い海。懐かしい日本の風景が広がる松江市の北約70キロの日本海に浮かぶ隠岐諸島。農漁業、畜産などほぼすべての第1次産業が同時に行える豊かさが自慢だ。
島後、中ノ島、西ノ島、知夫里島の4島、3町1村から成り総面積は346平方キロ。北西約150キロにある竹島も隠岐諸島に入る。海と山の幸が特に豊富なのは中ノ島。行政的には「海士町(あまちょう)」で東西約9キロ、南北約20キロ、人口2400人ほどの島では白イカや岩ガキ、アワビ、サザエなどがとれ、稲作も盛んだ。
中ノ島では日本名水百選「天川の水」など、各地にある湧き水が田を支える。ミネラルを含む海風が稲を強くし、コメは甘みと粘りを増す。1221年、後鳥羽上皇は「承久の乱」で京都から流され、ここで19年過ごした。「島流しされても時の天皇。豊かな島だった証拠」と島民は胸を張る。
今、海士町はIターンの島。自然と安らぎ、それに農業と漁業のノウハウを求め、島で就職する都会の若者が少なくない。“新住民”は人口の1割に達した。
隠岐では「国境の島」という意識は薄い。竹島との間には、韓国が一方的に定めた境界線(李承晩ライン)があり、韓国軍や沿岸警備隊が目を光らせる。日本の領土に漁船も近付けない理不尽な現実がある。
竹島の漁師2世、八幡昭三さん(82)は「父が昭和4年に申請した『竹島とその水際500メートルで漁をする権利』は今も有効。戦前はアシカやアワビ、サザエなどをとっていた。いつも大漁、恵みの海だった」と懐かしむ。現状については「島根県も国も『現地に行くな』というだけで見て見ぬふりだ」と語気を荒らげた。
海士町役場の大江和彦産業創出課長(51)は「時化(しけ)ると国境の島を感じる。50~60隻の中国や韓国、北朝鮮の漁船が湾内に避難し群がると怖い。島に警官は2人だけなので」と顔を曇らせた。
(写真報道局 鈴木健児)
宇受賀命(うづかのみこと)神社を囲むように色づいた田んぼが広がる。先には青い海と島後が見えた
=島根県海士町
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