【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博
高望みはしないから、友愛でも打算でもないふつうの総理大臣がほしかった。民主党政権の2年間は、夢見る友愛主義の鳩山由紀夫氏から打算的なご都合主義の菅直人氏につなげて、日本は恐ろしく国力を落としてしまった。
彼らの政治主導とは、思いつきの独断的権力行使だった。子ども手当を外国人にまで流し、尖閣諸島海域の漁船衝突事件のビデオを隠匿した。前言はすぐに翻すから、前首相が後継首相を「ペテン師」などと罵倒する。当の前首相も午前と午後では変節した。
そんなわけで、新首相が誕生するたびに、「大言壮語、美辞麗句はいらない。ただ、語った言葉と心中してほしい」と思うのだ。
亡くなった作詞家の阿久悠さんが本紙連載「阿久悠 書く言う」で、「リーダーの条件は言葉である」と時の指導者をいさめたことがあった。安倍晋三前首相の辞任と、派閥“談合”のような福田康夫首相誕生のころである。あの当時、ふつうの指導者だった福田首相は、「協力」「協議」「相談」ばかりで肝心のビジョンを語らなかった。
その時でさえ毒づいた阿久さんだから、いまに生きていたら、民主党政権を何と叱責しただろう。
そういえば、菅前首相の恩師である市川房枝さんは、戦時中は大政翼賛会で活躍し、言論統制に手を貸す側であった。それが、戦後は一転して進歩的な女性のカガミになり、市民派好きメディアから強力な支援を受けた。
日本の有権者は、思想や言葉の横滑りにはいたって寛容なのだ。世界の政治家と違って、政治発言で命を落とすことはないから、閣僚たちの言葉は羽根のように軽くなる。
野田佳彦首相はこれまで、日米関係の重要性を述べ、憲法9条の改正にも触れ、規制緩和に言及した。そのうえで「自分の国は自分で守るという覚悟を、あらためてしっかりと固める」(「わが政治哲学」Voice10月号)との決意を語った。
これが正義をまとった言葉だとしたら“うろん”である。「どじょう路線」をいう以上は、抵抗勢力をぬるぬるとかわす実行力を見たい。
ところが、閣僚の布陣はどうだろう。一川保夫防衛相が認めるように「素人」ばかりだから、不安で臨時国会の会期を4日間にした。閣僚が中身に精通していないから、「内閣は不完全」(平野博文国対委員長)というのがその理由だ。野党の猛反発で延長したのは当然だった。
米国の閣僚候補は、議会の口頭試問を経て承認されるから、とても素人にはつとまらない。候補は矢のような質問を右に左にかわして反撃もする。いったん議会証言でつまずくと、閣僚候補は差し替えられるから必死である。
わが国会も、せっかく延長国会になったのだから、委員会は承認のための口頭試問と心得た方がいい。鉢呂吉雄前経産相のように、浮かれて失言しないことを祈る。
野田首相が好きな勝海舟の『氷川清話』にいう「人材は探す側の目玉一つ」だから、任命権者の責任は大きい。この国難に党内融和を優先させてしまったのは誰の入れ知恵だったか。
この内閣がなすべきことは、新首相が繰り返す「正心誠意の実行」である。政治指導者は言葉に殉じてこそだが、どうだろう。不安。