修羅場ををくぐり抜けた元戦闘機パイロット。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





【笠原健の信州読解】

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110828/stt11082807010005-n1.htm





真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の

攻防をくぐり抜けた元戦闘機パイロット。


真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の攻防…。先の大戦で日米両軍が死闘を繰り広げた戦闘に加わった旧帝国海軍の元戦闘機パイロットが長野市内に住んでいる。原田要氏(95)がその人だ。終戦記念日の8月15日。長野市の市生涯学習センターで原田氏の講演会が開かれた。会合の冒頭、終戦の聖断を下された昭和天皇の玉音放送が流れて、原田氏が登壇した。原田氏は真珠湾攻撃で空母「蒼龍」の乗組員となり、機動部隊の上空直衛任務に就き、ミッドウェー海戦でもやはり「蒼龍」の戦闘機隊の小隊長として機動部隊の上空直衛を任された。そして、ガダルカナル島の攻防では空母「飛鷹」に乗艦し、九七式艦上攻撃機の護衛を命じられて愛機の零戦で敵機、グラマンと戦った。原田氏がなぜ戦闘機パイロットとなったのか、そして壮絶なその体験は最近、ジャーナリストの門田隆将氏が小学館から出版した「太平洋戦争最後の証言 第一部 零戦・特攻編」に記載されているので、ここでは詳しくは触れない。講演会で、原田氏は椅子に座ろうともせずに背筋をピンと伸ばして立ったまま。とても95歳の高齢とは思えない。背後のホワイトボードに日米両軍が激突した太平洋地域やガダルカナル島の手書きの戦闘地図を張り出して、飛行機の模型を持って当時の空戦の模様を再現してみせた。

とかくこうした体験談では自らの戦歴や戦果などを誇ることなどに陥りがちだが、原田氏の講演はまるでそうしたところがない。一方で、原田氏が語るミッドウェー海戦やガダルカナル島での激闘の模様は聞く者の心を揺さぶる。大正5(1916)年生まれの原田氏は真珠湾攻撃のときに25歳だった。門田氏がその著書の中で指摘したように大正世代の青年たちが先の大戦の主力となって戦った。原田氏のように当時を直接、知っている証言者の話を聴く機会は得がたい。長野県に勤務している間にぜひとも先の大戦に関する取材を進めたい。


                              (長野支局長 笠原健)



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