沖縄教科書採択の深い虚構。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





【安藤慶太が斬る】

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110828/edc11082812000001-n1.htm




「教職員の意見排除は非民主的」は間違いだ。



以前、北海道教職員組合(北教組)をこのコーナーで集中的に取り上げ、北海道の教育界を歪(ゆが)めてきた労使協定「四六協定」に焦点を当てたことがある。学校運営の細部に至るまで労使の話し合いで決められ、組合教師のやりたい放題が許されているという大変な問題である。

 無論、こういう協定が許されないものであることはいうまでもない。民主主義を歪めるものだからだ。


「民主的学校運営」の過誤


 学校運営というものは、その場の話し合いで進めればいいというものでは決してない。一般論で教職員と校長が共通理解を構築する大切さは無論あるが、聞き分けなく組合の論理や利害、思想、イデオロギーを持ち込む輩(やから)との間に共通理解など図れないだろう。

 学校で行われる教育活動というのは国民の税金、国民の代表者である国会で作られた法律などに基づき進められるものである。

 そこには教育がいかにあるべきかという国民の多くの願いや負託が込められている。そのために教職員に重い義務が課されることもある。

 それが教師にとって不本意だからといって現場に降りてきた段階で、「職場の話し合いこそが民主主義では大切だ」と掲げて勝手に変えられてしまってはどうなるか。これでは民主主義など逆に成り立たなくなるだろう。そういうことを何度も何度も繰り返し述べてきた。


メディアの悪意


 ところが、そういうことを多くのメディアは正しく分かっていないように思える。「現場の話し合いがいかに大切か」「とげとげしい職場ではいい仕事など出来ぬ」「校長と教職員が意思疎通を図ってこそいい教育ができる」などともっともらしい論理を展開しては、あたかも校長が教職員に耳を傾けるのが民主的でいい職場だと印象づけていくのが常である。

なるほどと国民を思わせておいて、あとは教職員のやりたい放題、組合天国が許されているというわけである。自宅研修はOKだし、意に反する人事異動だって許されないことになる。そういう悪弊に多くのメディアは知らん顔だ。

 全国学力テストでも、北海道の児童生徒の学力は、ざっとおしなべていえばダントツで低い。「点数学力を向上させるのが教育なのか」などとケチをつけてみたり、学力テストに協力はしないとか、全員調査ではなく、抽出調査に変えようとしたりと、いろいろな組合側に立つ論理が発信されているが、いずれも彼らの底意は透けている。

 要は彼らは口では子供たちのために、といいながら、児童生徒の肝心の学力などはそっちのけなのである。


民主的という言葉にご用心


 メディアの責任も重いが読者もこの手の甘い論理に惑わされぬよう眉に唾してかかったほうがいいと訴えたい。

 特に彼らが「民主的な学校運営を」という甘い言葉を持ち出したときは、要注意なのだ。それは決して民主的ではなくむしろ非民主的だったりするからである。

 卒業式で国旗掲揚に反対し、国歌斉唱に反対する。許されぬことだ。「民主主義だから教師と校長がよく話し合え」というが、これは本来、話し合ってはいけないテーマなのである。話し合う筋合いではない。法的に言えばこれは立派な管理運営事項であって、労使協議に付してはならないのである。

 ところが、現実はそうはならない。延々深夜の職員会議は糾弾、団交の場となる。校長が頭を下げて理解と協力を求める。

それでも糾弾はやまず職員会議は終わらない。追いつめられた校長はやがて身も心もボロボロになっていく。それが分かっているから、初めから国旗を掲揚したと教育委員会に報告はするが実際には校長室に飾っているだけとか、突き上げが怖くて見えないように掲揚するとか、インチキでごまかす校長だって出てくる。インチキが明るみに出れば、責められるのは校長のみだが、裏で必ずといっていいほど暗躍しているのが組合の分会長教師だったり、跳ね返り教師や、活動家教師だったりする。

 国旗掲揚にせよ国歌斉唱にせよ、そうしたテーマを話し合いのテーブルに乗せるべきではない。話し合いこそ、実は反民主主義的光景なのである。そういう虚構をメディアが放置したり、教師に加担したりする。嘆かわしく罪深いと思う。


教科書採択における虚構


 今、教科書採択が山場を迎えつつある。実はここにも同様の虚構が横たわっている。

 「教師の意見を聞かないのは公正な採択とはいえない」「沖縄の県民感情を踏まえた教科書採択を」などがその代表的な意見である。

 尖閣諸島を抱える沖縄県石垣市など3市町からなる教科用図書八重山採択地区協議会での採択を取材してきた。採択協議会は終了して、公民教科書に育鵬社版が選ばれたのだが、採択は教職員組合や彼らと関係する平和教育のグループ、市民運動と称するプロ市民、左翼活動家に徹底的にかき回され続けている。地元紙も加わって、そうした勢力を後押ししたのだが、彼らが唱えた論理というのは煎じ詰めればこうなる。

 「選ばれた教科書を使うのは教師である」。

 「教師に聞かないでどうする?」

 「教師の意見を排除するとは何事か?」

 「非民主的ではないか!」。

 「公正な採択ではないぞ…」


絞り込み、順位付け、学校票…いずれもアウト


 採択は本来、教育委員が教科書の内容に目を通して子供たちにふさわしい教科書を選ぶという民主主義に基づく手続きである。

教科書採択はレーマンコントロールを掲げる教育委員会制度の中核をなすものだ。

 レーマンというのは簡単にいえば素人である。教育の専門家ではない方々である。そうした人が地域の代表者として選ばれ、教育施策の中核となる教科書選びを任されている。無論、レーマンにも不心得者がいるだろうし、ただの名誉職、お飾りに過ぎない人もいるにはいる。しかし、教育の専門家の論理だけで学校教育を運営するのではなく、地域の教育を大所高所から見つめる見識あるレーマンに教育施策の意思決定を委ねている。これがわが国のルールである。そしてレーマンの選任をまた、地域の選挙で選ばれた首長に任せているというわけである。

 従って教育委員には高い見識が求められる。地域の子供たちにどういう教科書がふさわしいか。真剣に考えなくてはならない。教師がいいと言った教科書を唯々諾々と「それで行きましょう」では困るのである。

 ところが実態は教職員に希望を募り、彼らの意見に縛られる場と化している。選定のための資料づくりや調査研究を行う選定審議会という組織が置かれ、ここで各教科書の分析、調査、研究がなされる。事務的に調査研究するのであればいいのだが、ここに多くの教育のプロである教師達が集う。そして7社ある教科書を調べて3社だけ選んで残る4社をふるい落としたりする。

 教育委員が選ぶと制度的に定めていても、選定審議会が事実上の一次選考機関になって、猛威を奮う。ここで残らなければ、採択の議論の対象にすらならない。これは絞り込みと呼ばれるもので教育委員に与えられた権限を制約するダメ採択の典型である。

さらにいえば、この絞り込みのために地域の教員達が投票まで行ったりする。学校意見とか学校票と呼ばれるものである。東大阪や八重山採択協議会で続いていたやり方もこれに近く、順位付けと呼ばれるのも同様だ。いずれも悪しき採択例である。いずれも教師の意見が幅を利かせ、教育委員はこれを追認するだけのお飾りとなっているからである。


「教師の意見を排除するな」という可笑しさ


 繰り返しになるが教職員が教科書の特徴などを調べるのはアウトではない。しかし、その一線を越えて教科書決定に口出しするのはアウトなのだ。教育委員に与えられた権限を縛り、採択を蹂躙(じゅうりん)する非民主的な行為だからである。

 従って「教職員の意見を排除するのは民主主義に反する」という論理は断じて間違っている。厳密にいえば教職員の意見を制度的に聞く場を設けているのだから、教職員の意見は全く排除されていない。事実関係としても間違っている批判である。意見を踏まえて決めるのはあくまで教育委員であるというだけの話だ。

 「協議会に教育の専門家が少ない」といって委員の追加を求めたり、採決直前となった協議会に日程の延期を求めたりする県教委の物言いが、いかにトンチキであるか。

 くどいけれども採択は教育の専門家が決めるものでは決してない。採択権の行使する場となっていた協議会の席を延期してください、ついては協議会のメンバーに学校関係者を追加してくださいと求める行為は市町村教委に与えられた採択権を奪うような行為である。そんな資格は県教委にないはずである。

 もっと言っておくと、協議会は採択を法的に正しい方向にするべく、順位付けを廃止しようとしたのである。もともと順位付けなどを文部科学省が不適切であるとして通知を流して禁じた。県教委も過去、同じ内容の通知を流したことだってある。それを踏まえて協議会が順位付けをなくそうとしたら、「民主的な運営が成されていない」と県教委が梯子(はしご)を外したのである。

 法律上、県教委が指導助言できる対象は市町村教委であって、協議会にはないことも大きな問題点だと指摘しておく。県教委が地元紙の“採択妨害キャンペーン”に唱和する形でやっていることはデタラメということである。

 八重山の教科書採択はまだまだ波乱があるかもしれない。ウオッチを続けながら次回も取り上げる。

                          (安藤慶太・社会部編集委員)



























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