【久保田るり子の外交ウオッチ】
中山義隆石垣市長、決意表明
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110731/plc11073107010007-n1.htm
尖閣諸島への公人による上陸視察などで、「日本の実効支配を強化すべきだ」と主張してきた石垣市の中山義隆市長(44)は、現在、新たな要求を政府に突きつけている。それは昭和20年夏に起きた尖閣沖疎開船沈没遭難事件の慰霊祭の島での実現だ。「尖閣の国防」を訴える石垣市長には全国約285議会2900人の地方議員が支持の署名を行っている。中国漁船衝突事件から10カ月。尖閣に対する政府の無策に、地元石垣市には危機感が募っている。(久保田るり子)
次々に繰り出す作戦
中山市長は目下、政府に3つの要望を行っている。(1)固定資産税課税のための尖閣諸島上陸調査実施(2)絶滅危惧種であるセンカクモグラなど10種をはじめとする自然環境・生態系の現状把握のための尖閣上陸調査ーとのかねてからの主張に加え、尖閣・魚釣島での海難事故慰霊祭の開催だ。
昭和19年7月、日本軍は台湾航路の制圧権を失っていたにもかかわらず、石垣町民に台湾疎開を命じた。悲劇は起きた。終戦が間近に迫った20年6月末、最後の疎開船2隻が尖閣諸島沖で米軍の機銃掃射を浴びた。一隻は炎上沈没。一隻は航行不能となったが、必死の修理で魚釣島に漂着。しかし1カ月の島生活で餓死者も出る極限状態に置かれ、決死隊が小舟で石垣島にたどり着いてようやく生存者が救出された。老人、女性、子供180人中約110人が犠牲となった。
昭和44年に当時の石垣市長が魚釣島に台湾疎開石垣町民遭難慰霊之碑を建立。しかし以後、現地の尖閣諸島での慰霊祭が開けなくなり、石垣市で仮の慰霊祭を行い、今にいたっている。
「遺族の方々も高齢化している。なんとか現地で慰霊祭をしたいと政府に要請した。遺族の方々は慰霊祭のことで上陸問題が紛争化するのを懸念しているので、あくまでも石垣市が慰霊祭を行いたいと申し上げた。政府の回答待ちだ」(中山市長)
この案件は7月14日、衆院決算行政委員会で自民党の下村博文氏が枝野幸男官房長官に政府対応をただした。枝野氏は「慰霊祭については、ご遺族のご要望を重く受け止めつつ、検討を行っている」と答弁している。
そもそも私有地である尖閣諸島を地主から賃借している日本政府は、島への上陸を『平穏かつ安定的な維持および管理』という意味不明なタテマエで禁止してきた。ロシアに実効支配されている北方領土に関しては、その墓参に当たり、政府は遺族に援助を行っている。尖閣諸島への「墓参」のための上陸の便宜をはかれない理由はない。
中国の虎視眈々
誰もいない島々が、ある日、第3者に上陸されたらどうなるのか。
中山市長は、「市町村の首長に委ねられるにはあまりに重い課題だ。一体、(日本は)どういう国なのかという思いは常にある」と語る。
東日本大震災後は、しばらく静かだった沖縄の海だが、6月8日には中国海軍の船隊が沖縄近海を通過。6月17日の沖縄返還40周年記念日には、中国、台湾の活動家らが1000隻の漁船で尖閣諸島を取り囲んで一隻が尖閣に上陸するという計画があった。
このとき一部漁船約40隻が実際に香港に集結した。しかし、大震災後の日本への「圧力」は、かえって国際社会の非難を浴びるとの判断から、計画そのものを中止した。
だが、6月29日には台湾漁船が尖閣周辺海域(接続海域)に入り、海上保安庁の巡視船が警告、追い出した。7月3日には大震災以来、姿をみせていなかった中国の監視船「漁政201」が周辺海域に現れ、海保の警告を受け約4時間後に出ていった。
昨年9月の漁船衝突事件から現在までに中国漁船がこの海域に現れたのはこれで10回目。「領海には入らないが、定期的に現れることに彼らの意味がある」(海保関係者)
「中国は着々と手を打っている」と指摘するのは自民党で尖閣問題に詳しい下村博文氏だ。
「南シナ海で関係国と摩擦を起こしていることや日本との東シナ海のガス田問題も含め、中国は昨年から国家戦略としてのシーレーン確保を本格化している。尖閣問題もその一部であるのは明らかだ。尖閣について『領土問題はない』とする政府の立場は、世界からみて全くメッセージ力がない。まず上陸し、灯台を補修し環境調査を行い、海保を常駐させる。手をこまねいている場合ではない」と主張している。
日本の国会議員の鬱陵島訪問にみせる韓国政府の「過剰反応」が、皮肉な反面教師にみえてくる。
沖縄県・尖閣諸島。手前から南小島、北小島、魚釣島
沖縄県・尖閣諸島周辺の警戒に当たる海上保安庁の巡視船。奥は魚釣島=共同通信社ヘリから
尖閣諸島の領土保全などを訴える集会で気勢を上げる参加者たち=18日午後、沖縄県石垣市