【主張】「大正百年」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110731/dst11073102540002-n1.htm
今年は「大正百年」にあたる。明治45(1912)年7月30日、明治天皇の崩御により元号が大正と改められ、ちょうど百年目になるからだ。
岐阜県恵那市の「日本大正村」など、ゆかりの地ではこれを記念し「大正」という時代を考えるさまざまな催しが計画されている。
大正時代は大正15年12月25日まで14年と5カ月足らずで、前後の明治や昭和と比べ、短く終わっている。その一方で「戦間期」と呼ばれ、人々が比較的「平和」を享受できた時代だった。
その結果、現代の民主主義の源流ともいえるデモクラシーがめばえ、軍閥や薩長閥に代わり政党が力を伸ばした。一般国民も自由に発言できるようになった。一方で第一次世界大戦の特需による好景気にも恵まれた。
このため、音楽や文学などの文化や各種スポーツが花開いた。モータリゼーションや医学など技術革新も格段に進んだ。庶民の力がみなぎっているかのような時代だった。
そうした庶民の力が発揮されたのが大正12(1923)年9月、10万人以上が亡くなった関東大震災からの復興だった。陣頭指揮をしたのは内務相で復興院総裁を兼ねた後藤新平だったが、国民もこれを力強く後押しした。
震災直後、日比谷公園には400軒あまりの露天商が軒を並べ、被災者に物資を提供したという。地方から建築資材が流入、仮設住宅が次々に建てられていった。
明治時代の日清、日露戦争で醸成された国のために一致団結する心も十二分に発揮された。1年後には東京だけで約20万戸の住宅を建設、当時の永田秀次郎東京市長は「一に市民の努力によるもの」(東京朝日新聞)と民間の力を高く評価している。
現代に戻って東日本大震災から4カ月半が過ぎた今、復興はまだ道半ばにも達していない。がれきの除去、仮設住宅建設も政府の計画通りにはいっていない。
大正時代と現代は、国民がもっている活力や団結心という点ではほとんど変わらないだろう。問題は政府がどう復興に活用できるかである。「脱原発」や増税など民間力をそぐような政策ではなく、いかに成長させていくかを考えなければならない。
百年目を迎えた今、大正という時代から学ぶべきことである。