総理の単眼の危険。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【山河有情】元検事総長・但木敬一

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110727/plc11072703140007-n1.htm




明治憲法には内閣も総理大臣もなかった。「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼(ほひつ)シ其ノ責ニ任ス」(55条1項)という規定があるのみであった。「内閣ハ国務各大臣ヲ以テ組織ス」「内閣総理大臣ハ各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣(そうせん)シ旨ヲ承テ行政各部ノ統一ヲ保持ス」という制度は法律ではなく、天皇の大権に基づく「内閣官制」勅令によって定められていた。いうまでもなく天皇が行政権を行使する主体であり、内閣はこれを補佐する組織にすぎなかったからである。閣議は全員一致を求められていたうえ、総理大臣には大臣を罷免する権限もなかったため、閣内不一致は命取りとなり、実際軍部との対立によって退陣に追い込まれた内閣も少なくなかった。

 現行憲法65条は、「行政権は、内閣に属する」と規定し、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」(66条3項)と定め、内閣という合議体が国の行政権行使の主体であることを明らかにしている。他方内閣が迅速的確に事態に対応し、一体となって行政目的を果たせるように、内閣の首長である内閣総理大臣に強い権限を認めている。すなわち国務大臣の任命及び罷免の権限を認め(68条)、内閣を代表して、議案を国会に提出し、一般国務および外交について国会に報告し、行政各部を指揮監督する権限を与え(72条)、国務大臣の訴追に同意せずこれを拒む権限(75条)をも付与されている。

 平成11年の行政改革の際、旧内閣法4条2項「閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する」という規定に、「この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる」という文言が追加された。閣議という合議制による行政権行使を大前提(同条2項)としつつ、総理のリーダーシップを明文化したのである。他方「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて、行政各部を指揮監督する」(6条)という閣議の優越の原則は残された。

 昨今の原子力政策の迷走ぶりをみていると、総理の単眼の危険を感じざるを得ない。特に7月13日、官邸に記者を集め、脱原発を提唱したのは、内閣法の精神にもとるように思われる。エネルギー政策の転換は、国民生活、経済活動に幅広く、かつ深刻な影響を与える。従来の内閣の方針に明示的に反する政策の大転換は、まさに『内閣の重要政策に関する基本的方針』そのものではないのか。各国務大臣がそれぞれの観点から複眼的に閣議で論議すべき典型的事例であり、閣議を経ずして総理が独断で口にすべきことではない。

 15日の閣議後閣僚懇談会の模様が報じられているが、それを見る限り総理が事前に閣議に発議した形跡はない。もっとも総理はこれを個人的意見にすぎないと釈明しているという。こと原発問題に関しては、日本のトップリーダーである総理の発言は世界中が耳をそばだてて聞いている。官邸での記者会見、しかも「原発事故を体験した首相としての責務だ」とまで発言したと報じられているのに、その言『鴻毛(こうもう)』の如(ごと)しという日本的評釈だけで、世界に通用するのだろうか。『政を為すは人に在り』(中庸)と嘆息せざるを得ない。


                                (ただき けいいち)