アメリカ のネバダ州と云えば観光都市ラスベガスが有名だけど、もうひとつ忘れちゃいけないのが砂漠地帯の核実験場。ラスベガスの北西100kmの地点にある国営テスト機関で、1951年から1992年まで、何と1000回近くの核実験を行った場所です。
そのネバダ核実験場と核開発の歴史を展示しているのが、ラスベガス市内の核実験博物館 The Atomic Testing Museum。町役場みたいな小さな建物で派手さはないけれど、スミソニアン協会にも加盟している列記とした博物館です。実は先日、見学してきました。
広島長崎の被爆写真やリトル ボーイの模型など、われわれにとってはややセンシティブな展示もあるためか、こちらが日本人と判ると、案内係のお爺さんがつきっきりで展示内容を親切に説明してくれました。そのお爺さんは82歳、話を聞くと人生の大半をネバダ実験場で過ごしたひとで、核兵器や核実験は世界の平和に欠かせないし、自分は実験場勤務を通じてアメリカ 国家に貢献した、と胸を張って語りました。
面白いのは昔、爆発実験がラスベガス市にとって観光アトラクションのひとつだったこと。サングラスをかけた観光客がキノコ雲を見物している写真と見物ツアーの宣伝ポスターが展示されていました。あの頃は被曝とか大気汚染なんて誰も気にしなかったのですね。
1963年以降は地下核実験になったのだけど、作業者にとっては大変な仕事だったらしい。何しろ巨大な地下壕で広島長崎級の核爆発を起こして、地表には直径数百メートルの陥没(クレーター)が出来る。お爺さんによれば仕事は苛酷な作業の連続だったらしい。
でも放射能物質については一度も気にしなかったとか。実際、大気圏はもちろん地下実験だって地面が陥没する破壊力だから、莫大な量の放射能物質が広範囲に飛び散った筈。風によっては実験場はおろか、ラスベガスなど周辺の都市だろうと、カリフォルニア 州やオレゴン州に拡散していたとしても不思議はない。だけど、核実験に携わった作業者すら気にせぬほど、放射能被害なんて話題にならなかったそうです。
こういうアメリカの実話を聞くと、たかが放射能漏れで怖い怖いと脱原発ムードを盛り上げようと画策するわが国の左翼は異様だなと感じます。年間100mSVまでの放射線なら無害と主張する山下教授の発言を封じようと、左傾ジャーナリストが刑事告訴したのだから、まさに気違い沙汰です。
この脱原発ムードに悪乗りする菅工作員はもっと酷い。放射能ヒステリーを利用して国内の原発を停止するだけでは飽きたらず、とうとう原発輸出と云う巨大ビジネスを捨て、特亜の国々に渡そうとし始めた。愚の骨頂です。
ツアーを終えて核実験博物館を出るとき、あなた自身に健康被害はなかったのかと聞いたら、案内係のお爺さんはきょとんとした顔になりました。
「危険だと云う説もあるらしいけど、俺達は煙草や酒もやってるんだぜ、放射能が体に悪かったかどうかなんて、誰にも判らんよ。」
そう云うとにっこり笑って、こう付け加えたのです。
「少なくとも40年間核実験ばかりやってた俺は、ご覧のとおりぴんぴんしてるぜ。」