あの美しい駅舎をもう一度。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。




昔々、その昔。
日本がサッカーなるスポーツに手探りで挑んでいた時代。
ワールドカップなど、夢のまた夢であった。
そもそもそんな大会があることすら知られていなかった。
知られた後も、大会の規模や意味はなかなか伝わらなかった。
今もまだ伝わっていないのかも知れないが。

ワールドカップとは何だろうか。
出場することは果たして可能なのだろうか。
その為には先ずはプロリーグを作れ。
プロリーグを作ったら、有名選手を呼べ。
サッカー人口を増やせ。知名度を上げろ。

こうした作戦が悉く当たって、遂に日本はワールドカップに出場した。そして、信じられないことに開催国にもなった。そしてそして、さらに信じられないことに優勝国にもなってしまった。それは女子の話ではあるけれど、その偉大さからは何も差し引くものは無いのである。

日本サッカーは信じられない成功を収めた。
しかし、その裏側で我々は大きなものを失った。

美しい駅舎である。

「共催」などという詰まらぬ政治工作の為に、あの大会は失敗に終わった。それは途方も無い失敗だった。世界の一流選手達が、大きな傷を負ったままピッチを去っていった。精神的にも肉体的にも、その傷は今も癒えていないという。

「共催」が、世界最高のスポーツの祭典を穢したのである。我が国が成功の為にあらゆる努力を払ったにも関わらず、共催国が「別次元の努力」に終始したからである。

そして、その残り滓があの無残な駅の表示である。最近は大陸の文字まで含まれて、醜いことこの上ない。一体、あれは何の為の、誰の為の表記なのか。

日本語とローマ字表記以外に、何故あんな文字が必要なのか。日本人は勿論のこと、在日外国人にとっても、あれは無用の長物であろう。一体、どこの国が自国の表記以外にあんなにも見苦しい多言語表記をしているのか。

駅の案内は観光客の為にあるのではない。日本人の年配者が一瞥して読めないような表記は直ちに止めよ。東京都内ならいざ知らず、地方の駅で年間どれほどの該当国の観光旅行者が来るというのか。彼等の便宜のみを図って何をしようというのか。

共催、共催と五月蠅く騒ぐその裏で始まった、この種の「マヤカシ友好」は今もなお、その傷を深く日本に残しているのである。あんな表記を許していたら、スペイン語はどうなる、フランス語はどうなる、ドイツはインドは、彼等が一斉に我が母国語も記載せよ、と迫ってきたら、この途方も無い「差別待遇」をどう釈明するつもりなのか。

あれでは「どうぞ侵略して下さい」と門を開けているようなものではないか。留学生という名の大量のスパイを抱え。領土的野心を隠そうともせず、島を横取りし、海の名前を勝手に書換え。国内にあっては、マスコミを操作してプロパガンダに励み、自国にあっては、反日罪などいうトンデモナイ法律まで作って大衆を煽っている。

常に日本を「敵国」として自国民に認識させようと躍起になっている国に対して、日本は資金援助をし、留学生を厚遇で迎え、軍が容易に侵略しやすいように、駅に相手国の表記まで加えているのだ。

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美しい駅を取り戻そうではないか。

新憲法の制定や国軍創設より遙かに簡単で、同等の効果がある。侮ってはならない、この問題はそれほど深刻なのである。

相手国の「首都の地図」を手に入れることが、如何に重大な成果か。その要衝に「母語の刻印を打つ」ことが、如何に侵略を容易にするか。

逆を考えてみれば分かることだ。世界のある国で、駅といわず、道路といわず、空港といわず、ありとあらゆる重要地点への案内が日本語で書かれていれば、攻め込む部隊にとってどれほど有難いか。はぐれた兵士が隊に復帰するのにどれほど心強いか。

これは観光とも友好とも全く別次元の話である。
国家安全保障の話である。

日本の駅舎は日本人に便利であればそれでいい。
最低限の英語表記があれば、もう充分である。

むしろ、その方が友好的なのだ。実際、語学番組は言語を問わず、大抵は「駅でのスキット」から始まるではないか。困っている観光客を助ける誰々さん、「さて何と話し掛けましょうか」から始まるではないか。本当に日本文化を楽しむために訪れた外国人なら、そうした交流の中で次第に日本のことを知っていくことを望んでいるに違いない。あれでは一般外国人もどれが日本語か分かるまい。


電力会社と同様に、極めて高い公共性を持つ私鉄である。我々の声を届けて、その方向を変えさせることは出来るはずだ。あんなに不潔で不快な表記は他にない。あれほど治安を脅かす表記は他にない。大袈裟ではない、こうした点から一つずつ詰めていくことが、国防の基本である。

第一、あの看板に駅名とは別の内容が書かれていたとしても、我々はそれを読み取ることが出来ないのだ。そんな馬鹿な話があるか。日本人が日本国で暮しながら、桁外れの乗降客がいる国家の重要拠点に、誰も理解出来ない文字が書かれているのである。

外交の基本は「相互主義」である。

反日罪などいうアホらしい罪がある国と、どうやって「相互主義」を貫くのか。俺の物は俺の物、オマエの物も俺の物、という国とどうやって「文化を共有」するのか。出来るはずもないのである。相手国駅舎に日本語表記が溢れていない以上、我が国も同様にその看板を降ろすすべきである。

遂に女子は世界一になった。サッカーは見違えて強くなった。

そして、あの悪夢の共催から既に「十年一昔」を越えたのである。もうそろそろインチキ友好の看板を降ろそう、降ろさせようではないか。