【平成志事術】
マーケティングコンサルタント・西川りゅうじん
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110722/scr11072203070001-n1.htm
■「あきらめない」日本
サッカー女子ワールドカップのドイツ大会で「なでしこジャパン」が、世界ランキング1位のアメリカを破り、初優勝を果たした。男女を通じ、年齢制限のないサッカーの国際大会において、アジアのチームで初めての優勝という快挙だ。
1981年に女子代表チームが結成されて以来、ワールドカップは95年大会のベスト8、五輪は08年北京大会の4位が最高の成績だった。
しかも、アメリカには、過去24戦、一度も勝ったことがなかった。通算の対戦成績は0勝21敗3分け。今年に入っても3戦全敗。99年には、0-9、0-7と、通常、サッカーの試合では見られない大差で敗れたこともある苦手な相手だった。そのアメリカに対して、延長戦も含め120分間の死闘の末、PK戦を制し、勝利した。
チームを率いた佐々木則夫監督は試合後、「小さな娘たちが粘り強くよくやってくれた」と述べたが、事実、打ち破ったドイツ、スウェーデン、アメリカの選手に比べて体格は一回りも二回りも小さかった。全選手が身長で勝るアメリカに2度もリードされたが、そのたびに驚異的な粘りを発揮して追い付き、最終的に世界の頂点に上り詰めたのだ。
代表チームの主将で、今大会で最多得点を挙げ最優秀選手に選ばれた沢穂希(ほまれ)選手は、「優勝はみんなが最後まであきらめずに戦った結果」だと述べた。逆境をはね返す姿は、日本女子サッカーの歴史そのものだった。代表チームが結成されたものの、最初は世界の壁に阻まれて、なかなか勝てなかった。そこに景気低迷が追い打ちをかけ、女子リーグから企業チームの撤退が相次いだ。
日本代表選手とは言っても生活は厳しく不安定である。プロ選手はごく一部で、そのトップクラスでも年俸は300万円ほどにすぎない。多くの選手は、スーパーのレジ打ちや居酒屋で時給のアルバイトをしながら、夜に練習するなどして頑張り抜いてきたのだ。合宿や大会に参加すると、その間、働けず、収入が減ってしまうことさえあるという。
佐々木監督も夫婦で困難に打ち勝ってサッカーを続けてきた。監督が電電関東(現・NTT関東)のサッカーチームの現役選手としてプレーしていたときのこと。突然、妻の淳子さんが脳炎を患った。しかも、当時、淳子さんは妊娠中だった。監督は、看病のため、一時期、サッカーを離れざるを得なかった。命にかかわる状態だったため、「サッカーをやめて普通のサラリーマンに戻ろうか」と言うと、淳子さんは「一度きりの人生でしょ。大好きなサッカーをやめないで」と逆に励ました。その後、病状は好転し、監督は約2年ぶりに選手に復帰した。そこから指導者の道に進むこととなったのだ。
PK戦に入る直前、円陣を組む日本チームは笑っていた。その真ん中で佐々木監督は笑顔で「楽しもう!」と呼び掛けた。
アメリカのゴールキーパー、ホープ・ソロ選手は、同国代表チームのウェブサイトで、「わたしたちは偉大なチームに敗れた。何か大きな力が日本に味方していたと感じた」と記している。きっと震災で天に召された魂たちが、「なでしこジャパン」を通して、私たち一人一人に、「あきらめるな」と伝えているのに違いない。
(にしかわ りゅうじん)