釜石の奇跡(上) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【話の肖像画】群馬大院教授・片田敏孝



■子供たちに「地震、即避難」徹底

 死者・行方不明者約2万3千人と戦後最悪の被害をもたらした東日本大震災。大きな被害を受けた岩手県釜石市で、小中学生約3千人が大津波から逃れて無事避難した。徹底した防災教育を受けていたことが、多くの子供たちの奇跡的なサバイバルを可能にした。何年にもわたって同市で防災教育に取り組んできた指導者に、今後も発生が予想される巨大災害に、私たちはどう立ち向かうべきなのかを聞く。(文・北村理)

 --釜石の避難行動については、皇后陛下も関心をもたれていました

 片田 先月上旬に釜石市の避難所をご訪問の際、市長に事情をお尋ねになり、その後の和歌山県田辺市の植樹祭の折も、県知事に釜石市の防災教育についてお話をされたとうかがいました。

 --国内はもちろん海外からの反響も大きい

 片田 英国のBBCなどから取材申請があり、ドイツでは報道を知ったベルリン郊外の町で釜石の子供たちへの募金運動が起きた。国内では一般報道はもとより、ビジネス誌、教育誌、婦人誌と多岐にわたる取材がありました。

 --なぜここまで注目されていると思いますか

 片田 阪神大震災以降に進んだ、被害想定を前提とした防災が無残にも敗北したなかで、被害想定を無視して、「地震が起きたらとにかく逃げること」だけを目標にした防災教育が効果を発揮した。自然のなかで生きる人間の姿勢を見直させ、想定外の事態に対する生活防衛、危機管理を考える上で有効だと受け止められているようです。

 --地震のとき、防災教育の成果は信じていましたか

 片田 実は絶望していました。現地と連絡がとれないなかで、衝撃的な映像をみたり、釜石で多くの子供たちが流されたというデマも聞いたりもした。「逃げるときは助け合って」と呼びかけたのが裏目にでたかもしれない…と思って。もう防災教育にかかわる資格はないと一時は思いつめました。

 --ところが、子供たちは逃げていた

 片田 自分の責任として、現実を直視すべきだと思い直して、3月14日に現地入りしました。災害対策本部の駐車場で車を降りるなり、釜石市幹部から「子供は避難してほぼ全員無事」と聞かされた。正直力が抜けて、その場で座り込みそうになりました。

 --一方で、釜石市内での死者・行方不明者は約1300人にのぼります

 片田 瞬時の地震被害とは違って、津波は10分から数十分の間に高台に逃げれば助かる。釜石では「死者ゼロ」を目標に防災教育を行ってきました。ただ、講演会に来る大人は限られる。そこで子供を中心に考えた。子供は学校で全員を教育できる。子供が家で親や祖父母、近所の人に話してくれれば…と考えた。ただ、子供から大人への波及が完全でないうちに津波がきてしまった。

 --釜石の死者・行方不明者の65%がハザードマップ(被害想定図)の浸水想定区域外でした。気象庁の予想波高が低くて逃げ遅れたという話もありました

 片田 自然現象は人間の意思など無視して迫ってきます。子供たちには「ハザードマップを信じるな」とあえて逆説的なことをいって「地震、即避難」を徹底していました。ある小学校では、全員が避難を完了してから大津波警報を聞いています。犠牲者は逃げなかったか、逃げ遅れたから亡くなった。これは厳然たる事実。被害想定が避難の足かせになったとしたら、ハザードマップや予想波高の広報はやめるべきです。どのような情報であれ、人は都合のいいように解釈してしまう傾向があります。情報はなくても命は助かるということを釜石の子供たちは示してくれた。

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【プロフィル】片田敏孝

 かただ・としたか 昭和35年、岐阜県生まれ。50歳。群馬大学大学院教授(災害社会工学)。岩手県釜石市などで防災・危機管理アドバイザーを務める。中央防災会議専門委員、文部科学省「東日本大震災の被害を踏まえた学校施設の整備に関する検討会」委員。