【話の肖像画】災統合任務部隊指揮官・陸将 君塚栄治
基地維持の人・機能が重要
--自衛隊の活躍には感謝の声がすごい
君塚 指揮官としてうれしい。われわれがやってきた仕事、活動が評価された。役に立ったと感謝されたことは率直に喜びたい。
--この3カ月間、隊員に特に徹底したことは
君塚 3つあります。1つ目はご遺体に関しては生きている方のように丁寧に扱い、すべて敬意を払ってやるようにと。ハートが傷ついたり、精神的に病んだりした隊員も出ましたが、心のケアはチームで組織で十分やりました。2つ目は『先憂後楽』。先に憂えて後で楽しむを徹底させました。被災者を助けるのが第一ですから、例えば、冷たい缶詰飯をトラックの中で食べ、被災者には温かい食事を提供する。被災者には温かい風呂を提供するが、自分は週に1度しか入らない。先に被災者に楽していただいて、指揮官としては最後まで徹底して厳しい任務に邁進(まいしん)させました。
3つ目は、活動の重点を徐々に生活支援主体に転換する中で、物や形のある物資だけでなく、希望を届けていくことができないかと考えた。そんな時に、ある部隊が『がんばろう みやぎ』のシールをつくって貼っていた。これは良いアイデアだと、10万人全員にこれを貼れと。頑張ろうという気持ちと被災者に希望のハートを届けるものにしようと徹底させた。
--隊員に対してどんな評価をされていますか
君塚 それは国民が評価すること。あるいは被災者からありがとうと言ってもらう言葉に表れているのではないかと思っています。指揮官として、隊員、部隊を誇りに思います。それは外の人に言うべきじゃないのかもしれないが、聞かれたらそう答えたいですね。
--長期作戦で課題も見つかったと思いますが
君塚 基地を支える業務隊が重要と思い知った。普段、この駐屯地(仙台)が抱える隊員は2千人弱です。2千人に食事をさせ、いろいろな物資を支給する能力しかない。それが一時期、5千人が寝泊まりしていました。そうすると、食事だって2回転半しないと間に合わないし、単純にいうと昼飯が夕飯になってしまう。パンク状態になったわけです。駐屯地を支えてきたのは業務隊。これがご承知のように削減の対象になって事務官、自衛官がどんどん減った。
--そんなことが起きてたんですね
君塚 ガス・水道・電気が止まってガソリンもないといったときに、駐屯地には作戦用のガソリンや灯油がある。あらゆる省庁がガソリンの提供を受けに仙台や多賀城に来ました。
--多賀城駐屯地には津波が押し寄せましたね
君塚 津波と地震にやられましたが、あそこにある燃料タンクはパイプが大きくずれながら切れなかった。数年前に機転を利かせ、万が一、地震がきてパイプがずれても切れないようにジョイントをフレキシブルにした。だから、かなりの量の燃料が助かった。うちの飛行機がずっと飛び続け、車も全部動き回れ、ガソリンも皆さんに提供できた。基地を維持する人、機能が重要だということです。平素、無駄な部分があるからとどんどん減らしていくと、いざというときに自己完結能力がなくなってくる。これは教訓です。
(石田征広)
がれきの撤去にあたる自衛隊員=5月29日、宮城県亘理町(彦野公太朗撮影)