【風を読む】論説副委員長・五十嵐徹
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110621/stt11062107410002-n1.htm
「永田町(政界)の常識は世間の非常識」とも言われるが、菅直人首相の常識は、その永田町の常識とも大いに異なるようだ。
与党内の菅降ろし勢力が内閣不信任案賛成の動きを収める見返りとして、早期退陣を約束したはずの首相が、その後も「居座り」ともいえる状態を続けている。最近は、2次どころか3次の補正予算編成にまで意欲を見せ始めた。
どんな形であれ、首相がいったん辞任に言及した以上、国政はそこで一時機能を停止する。辞めると分かっているトップの指示には誰も従わなくなるからだ。そのしわ寄せを受けるのは国民だ。「総理たるもの、当然そうした政治の空白状態は極力避けるはず」。永田町の常識では誰もがそう思った。
ところが今回は、それがまったく通用しないのである。
当のご本人は前首相のペテン師呼ばわりもどこ吹く風。「いずれ辞めるとは言ったが、時期まで明示した覚えはない」とでも言いたげだ。
世間の方は、もともと永田町の常識を常識だと思っていないから、菅さんに呆(あき)れる以上に、いいように振り回されている永田町の常識の方を嗤(わら)うほかないのである。
一方で、今回の茶番劇ほど、総理の権威というものが貶(おとし)められた例もなかった。
若者文化の発信地、東京・渋谷のギャル語に「LJK」なる略語があると最近知った。ラスト女子高生の頭文字で、高校3年生を指すのだという。ギャル時代最後の年というニュアンスで使うらしい。大学生以上はオバサン世代だと言い切る彼女たちらしい「乗り」だ。
何でもご存じの菅さんのことだ。こうしたギャル言葉にも造詣が深かろう。あるいは、自分こそが「LPM」=最後のプライム・ミニスター(首相)だとして、この国の末路を看取(みと)る気でいるのではないか。
常人はまさかと思う。だが、そうとでも考えなければ、この異常な粘り腰の理由は分からない。