【from Editor】
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110614/dst11061408060000-n1.htm
東日本大震災による福島第1原子力発電所事故に関する政府や東京電力などの発表は、1号機原子炉への海水注入をめぐる迷走など何を信じていいのかわからない状況が続いている。不信を拡大させるのは許されないが、日本の原発をよみがえらせるため、ひっかかっているのは地震大国・日本での原発建設に過去の「教訓」が生かし切れていないのではないかということだ。とくに津波についての認識が甘いのではないかと考えていた。そんな折、事故の原因解明のため来日している国際原子力機関(IAEA)の調査団は、政府が津波の危険性を過小評価していたと指摘。「原発の設計者や運営者はすべての自然災害のリスクを評価して備えを実施すべきだ」としている。
本紙でも取り上げられている作家の吉村昭さん(故人)が約40年前に書いた『三陸海岸大津波』(文春文庫)の中にこんなくだりがある。《「四〇メートルぐらいはあるでしょうか」という私の問いに、村長は「いや、五〇メートルは十分あるでしょう」と、呆れたように答えた》。吉村さんが、岩手県の太平洋沿岸にある村に明治29年の津波を経験した古老を訪れ、高台にある古老の家から海をながめながら、村長と交わした会話である。集落は深い湾の奥にあるが、吉村さんは《五〇メートルの高さにまで達したという事実は驚異だった》と結んでいる。
福井県の若狭湾沿岸部には原発14基が林立し、関西の電力需要を支えている。この地域に約400年前の安土桃山時代、大地震と大津波が押し寄せ、多数の死者が出たという記述が古文書にあることが判明した。この地域の原発の多くを持つ関西電力は、大きな被害の記録はないと説明してきた。指摘を受け、関電は「古文書の記述は認識しているが、大津波は来ないと考えている」としたが、改めて調査するという。
原発の立地条件は厳しい。あらゆる観点から事前調査を行ったうえで建設されているはずだ。それでも大事故は起きた。資源の乏しい日本のエネルギー事情を考えると原発は不可欠と思うが、十分な地震・津波対策なしには存続は危うい。今こそ吉村さんが掘り起こしたような過去の記録や古文書の記述、地元の言い伝えなど、古き良きものに立ち返ってみることが欠かせないのではないか。IAEAも「新たな知見が得られた場合は評価を更新すべきだ」という。「温故」で「知新」を。
(大阪地方部長 小代みのる)